金融庁に創設時から関わり、不良債権問題解決の陣頭指揮を執った元金融庁長官が、平成の金融行政を振り返る。
金融庁の誕生は、本をたどれば住専問題がきっかけだった。住宅金融専門会社という一金融機関の救済に巨額の税金をなぜ投入するのか、詳しい説明がない、と国民の不満は爆発していた。批判は大蔵省の金融行政に向かった。財政政策も金融行政も統括する大蔵省の巨大な権限が、不透明な経緯での決定を正当化したのではないかという批判だ。国会でも連日問題となった。より透明度を高めるような組織形態が必要だ、と財政当局と金融行政とを分離する案が政治的に決定されていった。
1996年12月に金融監督庁(金融庁の前身)設立準備室が設置されると、大蔵省銀行局にいた私も準備室へ移ることになった。局長級の部署をどのくらい設置するか、大蔵省から何人ぐらいの実務担当者を移管するか、組織の細部を詰めているうちに山一証券、北海道拓殖銀行と立て続けに大手金融機関が破綻し、みるみる事態は緊迫化していった。来年の設立までに混乱が収束していてくれと祈るような思いだったが、当初の銀行への公的資金注入額はあまりに少なく、かなわないと悟った。
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