1月4日付の朝日新聞の1面に掲載された「『経済成長』永遠なのか」という記事は、私の周りでもちょっとした話題になった。内容は、経済成長を追求することへの疑問である。GDPが増えなくても豊かになっているではないか(安くて多機能なスマートフォンやパソコンの登場など)、資源・環境面からすでに成長の限界に達しているのではないかなどとし、低成長を容認すべきだと説く。
私は、こうした低成長容認論には反対である。私がエコノミスト的な仕事を始めてから40年以上になるが、その間も「くたばれGNP」「ローマクラブによる成長の限界論」「石油危機後の資源制約論」「中野孝次氏の『清貧の思想』」など、「もう経済成長は必要ない(できない)」という議論が繰り返されてきた。もし、それぞれの時代でこうした考え方を受け入れ、その後の成長をあきらめていたら、われわれの生活は現在よりもずっと悲惨なものになっていたはずだ。
それにしても、こうした低成長容認論が繰り返し登場するのは、「経済成長とは何か」ということについての考えが混乱しているからではなかろうか。以下、私の考えを紹介したい。
私は、経済成長には「狭い意味の成長」と「広い意味の成長」とがあると考える。狭い意味の成長とは、GDPが拡大することだ。経済政策の大きな目標は持続的な成長であり、その成長を測る指標がGDPなのだから、GDPの拡大を求めるのは自然である。しかし、GDPという指標には限界もある。市場で取引されている財・サービスを中心に把握しているため、ネット上で得られた無償の情報などは、いくらそれが増えて生活が豊かになってもGDPは増えない。そもそもGDPは、国民の豊かさを示す指標としては限界があるのだ。
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