近所の公園の池から老女の遺体が発見されたので、連日上空をマスコミのヘリが飛び交っている。私の仕事場は防音・防震が徹底されているので(東日本大震災のときも、本一冊、コップ一つ落ちなかった)、窓を閉めれば騒音は聞こえない。しかしそういう建物ばかりではないので、夜、飲み屋に行くと「今日もうるさかったなあ」とボヤキの声を聞く。
昭和7(1932)年に東京都の5郡82町村が東京市に編入されるまで、池のある目黒区も荏原郡の村だった。地域一帯は田んぼや畑の多い農村地帯である。「山手線の内だけが東京で、線の外は田舎だ」といわれた時代で、山手線の外に住む私は「言われても仕方ねーや」と容認していた。
骨の出た池は荏原郡のかなりの水田に注がれるかんがい用水の水源だった。流入する川もないから、水量は池の底からの湧き水によって保たれている。桜をはじめいろいろな木が池の周りに生え、花も咲いている。地域住民の散歩道であり、区の管理も行き届いている。
近所に住む芸能人が多いと報ぜられたが、そのとおりだ。しかし私の知るかぎりその芸能人たちは自分を誇示せずに、ひっそりと暮らしている。池のある公園では、ベンチでひなたぼっこをしている渥美清さんを時折見かけた。病気がかなり進んでいるようで、寅さんファンの私はつい声をかけたい衝動に駆られたが、それを峻拒する寂しさがあった。
それほどひっそりとした地域なのだ。私などもただ「郡部を潤した水源の池のある地域」としか受け止めてこなかった。その意識の底には「山手線の外側に住む東京の田舎っぺ」という気持ちがこびりついている。が、ヒガミや負け惜しみではない。
この池だけでなく、私が子どもの頃の地域には美しい川が何本も流れていた。今の目黒区は目黒地域と碑文谷地域が合体したものだが、目黒地域を流れる目黒川は「昔はアユが泳いでいた」と古老は話す。碑文谷地域からは立会川や呑川が品川区や大田区を経て東京湾に注ぐ。
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