熊本では依然として加藤清正の人気が高い。しかしその割には全国的な人気に発展しない。その原因の一つに豊臣秀吉の朝鮮侵攻への積極的な参加がある。たとえば同地の虎狩りにしても、かの国の国民感情を慮るというようなこっち側の自己規制?があって、時代(歴史)小説にもあまり登場しない。
それでも清正の人気が根強い理由は、勇敢さよりも、彼の“人間味”にあるのではなかろうか。
『名将言行録』に残された清正のエピソードでは、現代の管理者にも応用できるようなリーダーシップが語られている。特に彼の部下愛は有名で、夜中トイレに立った清正が、褒め忘れた部下のことを突然思い出し、夜更けにそのことを重臣に連絡して翌日実行させた例が描かれている。こういうことが口コミで伝わって、清正は当時の「仕えたい主人」のトップだった。そういう人々の訪問で、熊本城はつねににぎわっていた。
あるとき、老人・壮年者・若者のトリオがやってきて、加藤家への就職を希望した。面接には重臣たちが当たる。その結果を清正に報告して採否を決定してもらう。面接での質問には必ず「なぜ加藤家を志望するのか?」という項目が入る。それに対し多くの志望者が「大手名門の大名家だから」とか「トップ(清正)が名君で、組織が安定しているから」と答える。清正はこういう答え方をした志望者は全部不合格とした。清正の求める家臣像は、今風に言えば「加藤家の危機を指摘し、それに対する自分なりの解決策を持っている人間」であった。月並みな答えは聞くだけでウンザリした。
老人はこう答えた。「多くの合戦を経験してきました。疲れましたので、熊本城の片隅で茶飲み話などさせていただければ幸いです」。重臣たちはあきれた。壮年者はこう言った。「何人か主人を替えましたが、一人として私の力を正しく評価しません。清正公なら正当なお扱いをしてくださると信じ、まかり越しました」。(いい年をしてまだ出世したいのか)と重臣たちは鼻白んだ。若者は訪問の前に加藤家の実態を把握し、弱点を分析して、解決策も複数考えてきた。重臣たちは圧倒され感嘆した。全員(この若者こそ清正公が求めておられる人材だ)と確信した。
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