去った職場には二度と足を踏み入れないことにしている。顔見知りの職員をまごつかせないためだ。懐かしがる者もいればそうでない者もいる。横を向かれて心に冷たい滴を浴びるのも嫌だが、下手に歓迎されれば後任者に申し訳ない。
「手ぬぐいやせっけんなどの私物を残してありますが、二度と近づきませんよ」と私に語ったのは、宅急便の創始者である小倉昌男さんだ。小倉さんは私とテレビ対談をした日に会社を辞めた。理由は、会議を開いても皆が小倉さんを恐れて発言しなくなったからだということだった。「そうなったら会社の危機です」という小倉さんに、当時の私は「信長みたいだな」と感じたものだった。
私のかたくなな姿勢に相手側も感応したのだろう。先輩、同僚、後輩などの消息も知らないことが増えた。年賀状をもらったので近著にサインして送ったら、奥さんから手紙が来た。「年賀状を発送してすぐ認知症が進み、今は施設でおだやかに過ごしております」という。“おだやかに過ごしている”という表現にいろいろな思いが募る。
私と同じ江戸生まれで洒脱なところがあり、現役時代、私は好きな落語家の桂枝雀さんに彼を擬していた。勤めの後年では最も仲の良かった友であり、毎日昼時にはつるんで新しい店を物色した。中華料理店に行くと、私は必ずマーボー豆腐を単品でもらって、これを五目チャーハンにぶっかける。彼はおかしがって笑い、しかし同じことをした。懐かしい。
その彼がひょっとして、見舞いに行った私に「アンタ、ダアレ?」と言いかねない病状なのだろうか。“おだやかに過ごしております”の一文はいろいろなせんさくをさせる。
退職して36年になる。私が辞めた年に就職した人が定年になっている。もう誰も知らない。OBが社友会を作っていて毎年例会を開く。一度も出席したことはない。ただビールの追加代として寸志を郵送している。そのお礼を兼ねて担当者が名簿を届けてくれる。年ごとに故人になった人の名が連ねてある。去年の分を見て胸を突かれた。A君の名があったからだ。享年七十二歳とある。思わず「冗談じゃねえや」とつぶやいた。「まだ死ぬ年じゃねえだろ」と付け加える。こっちが八十八だってえのに、なんでそんなに早く死にやがるんだという心積もりである。
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