脳の「前頭前野」を鍛えてネガティブな感情を制御できる

「学校は、先生と子どもがハッピーであることが最優先ではないかと思います。それ以外に優先することってないんじゃないかなと。でも、実際は先生も子どもも日々忙しく、さまざまなプレッシャーにさらされていますよね。私の親は小学校の先生だったし、わが子もつい先日まで中学受験生だったので、その精神的ストレスはよくわかります」

そう話すのは、Melon代表取締役CEOの橋本大佑氏だ。実は自身も、外資系資産運用会社で15年間働く中で、物質面では恵まれているものの精神的には満たされず、個人的な問題を機にメンタル不調に陥った経験がある。同じ頃、友人が自ら命を絶ち、周囲でもメンタルに問題を抱える人が多いことに気づいた。そんなふうに思い悩む中で出合ったのが、マインドフルネスだった。

橋本 大佑(はしもと・だいすけ)
Melon 代表取締役 CEO、一般社団法人マインドフルネス瞑想協会理事
早稲田大学卒業後、シティグループ証券投資銀行本部を経て、米系資産運用会社、オークツリー・キャピタル・マネジメントで日本株運用に携わる。15年間の外資金融でのキャリアの中で、マインドフルネス瞑想を継続し効果を実感。2019年にMelonを設立し、オンライン・マインドフルネスのプラットフォーム「MELON ONLINE」をスタート。法人向けのマインドフルネス研修やイベント登壇、個人向けの講演など各方面でマインドフルネスを広める活動を継続中

「マインドフルネスについて学び始めたら、不安を和らげたり、うつや燃え尽き症候群を予防したり、マルチタスクによるストレスを軽減したりする効果があるという科学的なエビデンスがたくさんあることや、米国ではここ10年でだいぶ普及していることなどがわかりました。さらに実際に試すことでその効果に確信を持ち、社会実装するべきではと思い起業に至りました」

マインドフルネスとは、「今この瞬間に集中している」状態だ。橋本氏は、その状態がなぜよいのか、次のように説明する。

「マインドフルネスは、米国で40年ほど前にジョン・カバット・ジン博士が提唱したことが始まりですが、いわば注意のトレーニングです。人間の脳には怒り・焦り・不安・恐怖といったネガティブな感情に反応しやすい『扁桃体』という部位があり、この扁桃体が暴れないように抑制するのが『前頭前野』。呼吸や身体など、特定の対象に意識を向けることでこの前頭前野が鍛えられ、ネガティブな感情やマイナス思考の無限ループをコントロールできるようになるのです」

現在、同社のマインドフルネス・プログラムには個人や企業だけでなく、教育現場からも声がかかるようになってきた。教員向けに小学校や高等学校で採用されたケース、子どもたち向けに学習塾で採用されたケースなどがある。そのほか、運動部の学生向けに活用する大学も複数ある。

明治学院大学では、2022年2~3月に対面プログラムと同社のオンラインプログラムを組み合わせたマインドフルネスの課外講座を予定している。同大学心理学部心理学科教授兼学生部長の宮本聡介氏は、導入の理由についてこう語る。

「私も実践しているので日頃から効果を体感していますが、マインドフルネスには自分の取り組みで心の問題を何とか整えられる要素があります。本学では心身の悩みを専任カウンセラーに相談できる学生相談センターを設けていますが、利用者も少なくありません。そんな学生たちにマインドフルネスを知ってもらうきっかけになればいいなと思って導入してみることにしました」

「非認知能力」を育むためにも心のトレーニングが必要

メンタル問題の懸念は一部の教育現場に限った話ではない。文部科学省の「令和2年度公立学校教職員の人事行政状況調査について」によると、教育職員の精神疾患による病気休職者数は、5180人。過去最多となった令和元年度の5478人からは減少したものの、依然高止まり状態である。

子どもの心の状態も見過ごせない。2020年9月にユニセフが発表した報告書「レポートカード16-子どもたちに影響する世界:先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か」では、日本の子どもたちの幸福度は38カ国中、総合順位で20位となった。

その内訳を見ると「身体的健康」は1位であるのに対し、「精神的幸福度」は37位。また、「スキル」は27位で、項目別には学力スキルが5位につけているものの、社会的スキル(すぐに友達ができると答えた15 歳の子どもの割合)は37位。この極端な結果を受け、橋本氏はこう述べる。

「子どもの幸福度には、対人コミュニケーションも関係するといわれますが、そういったソーシャルスキルが低いことがわかります。シックスセカンズ(※)によると、日本は非認知能力に当たるEQ(Emotional Intelligence Quotient)スコアも、調査対象国の中で最下位。つまり、自分や他人の感情を理解する資質・能力が欠如しているといえます」
※ EQの開発を専門とし、調査研究や情報発信を行う組織

実際、対人関係が影響するいじめや不登校は増えており、厚生労働省の「令和3年版自殺対策白書」によると、コロナ禍の20年における児童生徒の自殺者数は過去最多の499人となった。橋本氏には、何も悪くない子どもたちにシワ寄せがいっているように見えるという。

「心の健康はある意味基本的人権であり、国がそれを保障すべき。義務教育から、体育で体を鍛えるのと同様に心のトレーニングも行うべきではないでしょうか。そのセルフケアツールとして、自分や他人の感情に気づく力や共感力も高めることができるマインドフルネスは適しています。米国では公立の小中学校で実践が広がっていて、英国でも公立の小中学校で大々的な実証実験が始まっています。一方、日本はマインドフルネスという言葉の認知は広がりましたが、実践している人はまだまだ少なく遅れていると感じます」

「2カ月間のマインドフルネス」で小学生に起きた変化とは?

そこで、橋本氏は2021年5~11月に、小学校向けマインドフルネス・プログラムの実証実験に取り組んだ。「子どもたちがストレスとの付き合い方を学び自ら対処していくためにマインドフルネスは有効である」という仮説の下、協力してくれる小学校を募集。参加校の7校にはプログラムを無償提供した。

子どもたちが飽きないよう、プログラムはすべてアニメーションで制作。呼吸を観察するものから体を動かすものまで15種類のプログラムを用意

参加校は2グループに分け、第1グループは1学期、第2グループは2学期にそれぞれ8週間、1回10分程度のマインドフルネスの動画プログラムを朝の会などで毎日視聴・実践。そして各グループに、プログラムの実践介入前後に質問票に回答してもらい、子どもたち(小学4~6年生279名)の状態を比較した。

動画プログラムを実践する子どもたち

検証には兵庫教育大学大学院教授の藤原忠雄氏、早稲田大学人間科学学術院助教の髙橋徹氏の監修の下、「リラクセーション感」「ストレス反応」「共感性」「自己統制」「自己肯定感」の5つの尺度で構成される「マインドフルネスの効果測定尺度」を使用。尺度ごとに介入前後のデータに有意な差があるか検証した。

「この結果、マインドフルネスを2カ月間継続することで、ストレス解消の効果を有する可能性が統計的に確認されました。リラクセーション感、ストレス反応の尺度のどちらか、または両方に改善が認められた子どもは、全体の約71%にも及んでいます」

このプログラムを実践した学校の教員によれば、「実践後の授業は、明らかに子どもたちの集中度が違う」「何か嫌なことがあったときに、子どもが自分で実践している」と評価は高い。

子どもたちからも「スーッとして気分がよくなった」「テストの前にやったら気持ちが落ち着いた」「小学校はみんなこれをやったほうがいい」といった感想が集まり、手応えを感じているという。

実証実験に参加した小学校の中には、毎朝1〜3分程度のメディテーション(瞑想法)を継続して行っているところがあるほか、気に入って自分が実践するようになった教員もいるそうだ。

「マインドフルネスは、本質的な問題を解決するものではありませんが、ストレスをケアする対症療法的なツールとして有効だと実証実験からもわかりました。また、このプログラムは、専任インストラクターがいなくても実践でき、動画だからICT基盤が整いつつある教育現場でも使いやすい。お忙しい先生方に負担が少ない形で提供できた点も1つの成果だと思います」と、橋本氏は話す。

同社は先頃、コロナ禍による学級閉鎖などの足元の状況を受け、その影響を受けている子どもたちのメンタルヘルス改善のために、全国の小学校にプログラムを無償提供することを決めた。現在、同社ホームページの専用フォームから申し込むことができる。

当面は個別対応が続くが、ゆくゆくはコンテンツをさらに充実させてサブスクリプション視聴できるようにするなど、もっと学校が使いやすい形にして広げたいという。

(文:田中弘美、編集部 佐藤ちひろ、写真:Melon提供)