愚直に続けたから 成功した、ワケじゃない

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井村屋グループ会長

浅田剛夫

今の時代、
急がなければ生き残れない

「あずきバー」や「中華まん」など、古くから愛される商品を手がける老舗菓子メーカーの井村屋。年商420億円、三重県に本社を置く東証1部上場企業だ。現在会長を務める浅田剛夫氏は大学卒業後、醸造会社を経て1970年に井村屋製菓(現井村屋グループ)に入社。その後、当時話題となったレストラン「アンナミラーズ」の立ち上げに30代で携わり、40代で東京支店長、50代から取締役などの要職を歴任。60歳で社長に就任し、東証1部上場も成し遂げた。70代後半となった今も会長として第一線で指揮を執り、2019年11月にEYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー ジャパンのマスター・アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー部門を受賞した。そんな浅田氏のビジネス哲学とは――。

コロナ危機で
会社の存続まで考えた

――新型コロナウイルスの感染拡大から半年以上が経ちますが、経営面での影響はいかがでしょうか。

浅田もちろん大きな影響を受けましたが、今回のコロナ危機では、私が思っていた以上に現場がいち早く対応してくれました。知らない間に子どもは育つというべきか、社員たちを非常に頼もしく感じました。本来、営業の仕事は動かないと成り立たないものですが、緊急事態宣言が発出され、動くなと言われたわけです。そんな状況の中でも、現場中心でいち早くリモートワーク体制を整え、業務に大きな影響が出ないように対処した。正直、これには驚きました。

――なぜいち早く対応ができたのでしょうか。

浅田振り返ってみれば、2019年にリモートワークの導入についてシステム部門から提案がありました。そのときはリモートワークの重要性をそこまで感じず、その実現性についても半信半疑でしたが、試験的に導入することになりました。それが20年のコロナ危機で生きることになった。結果的に若い現場のメンバーに助けられました。

――業績について影響は出ていますか。

浅田一般的に食品産業は自粛期間の中でも堅調だといわれていますが、それは生鮮食品など日常の食生活に密接したところです。われわれのような菓子メーカーは大きな影響を受けました。ただ、猛暑の影響もあって8~9月にかけてアイスクリーム関連を中心に盛り返し、徐々に業績も回復しつつあります。それにしてもコロナ危機が始まる3月ごろから今まで、経営についてさまざまなことを考えましたね。

――どんなことですか。

浅田会社が存続できるかどうかまで考えました。この危機を乗り越えなければ、次のステップには進めない。それには何よりもスピード感が必要だと思いました。今、「アジャイル経営」(迅速、俊敏な経営)などがもてはやされているように、今は速いものが勝つ時代です。考えたら速く動く。多くのものがどんどん変化していく中で、速く動かなければ生き残れない。その重要性をコロナ危機の中で、何度も感じました。

――コロナ危機は浅田会長の経営哲学、経営戦略にどのような影響を与えたのでしょうか。

浅田これからニューノーマルといわれる時代に入り、新たな対応が必要なのは言うまでもありません。ただ、激しい変化の中、限られたリソースで対応していくには困難も伴います。それを会社としていかに打破していくのか。

 そのため、社内に8つのプロジェクトを立ち上げ、社内横断的に協力し合う体制を整えました。デジタルトランスフォーメーション(DX)やSDGs経営、働き方改革などをテーマとして、各プロジェクトに今取り組んでいるところです。

――地方企業にはのんびりした雰囲気を持つ会社も少なくありません。なぜスピード感のある経営を実現できているのでしょうか。

浅田われわれは2017年に東証1部に上場して以降、事業拡大を図ってきましたが、19年になって苦しい戦いに直面することになりました。いちばんの原因は北海道産の小豆が不作となり原料価格が急騰したことですが、一方で念願の東証1部上場を果たした後の弛緩状態で甘えもあったと感じています。そこへコロナがやってきた。この危機を乗り越えなければ会社の将来はない。それには急がなければならない。そんな危機感があったからこそ、できたことだと思います。

これから必要なのは
「利他の心」だ

――この連載は「愚直に続けたから成功した、ワケじゃない」という企画ですが、浅田会長が仕事において「愚直に続けている」こととは何でしょうか。

浅田個人的には読書を続けていることです。経営書などの専門書から歴史小説、推理小説まで手当たり次第、いろんな本を乱読しています。本からはさまざまなことが学べます。今も毎月ハードカバーで10冊程度の本を読んでいます。とくに歴史ものは勉強になります。

 例えば、織田信長は本能寺の変で敵に囲まれる中、「是非に及ばず」という言葉を吐いたといわれます。これは諦めの言葉という解釈もあるようですが、私は「何か事に及んだ際には、是も非も考える暇などない。とにかく前に進むしかない」という意味だと理解しています。今の危機も同じで、コロナが是か非か考えるのではなく、やるべきことをやって前に進むしかないんです。歴史は未来を切り開くための指針になりますね。

――では、会社として愚直に続けていることは何でしょうか。

浅田当社に長く受け継がれてきた言葉に「不易流行」があります。これは「守るものはしっかり守りながら、新しいことに挑戦することを恐れない」ことを意味します。これまで123年事業を続けてきましたが、これから先の100年を生きられる保証はどこにもない。不易も大事だが、流行も大事です。数年ごとにイノベーションを起こして、新しい環境に対応していかないと、会社は生き残っていけません。123年を振り返ってもさまざまな危機がありましたが、そのたびに流行を大事にして生き延びてきた。時代を経るごとに変化に合わせて営んでいく。まさしく、それが「継栄」だと思っています。

――「愚直さ」以外に、経営をする中で成功につながった取り組み、きっかけ、習慣、視点などはありますか。

浅田よく聞くこと、傾聴する姿勢が大事だと考えています。われわれはよく「三現主義」と言っていますが、「現場に立って、現物を見て、現実を知れ」ということです。幕末から明治にかけて探検家・著述家であった松浦武四郎という人物がいます。この方は蝦夷地を探索し地誌を作り、北海道という名前を考案した人です。

 実はこの方は井村屋の本社がある三重の出身です。松浦武四郎は山に登り、川を下り、人に会って、地誌を作った。まさしく「三現主義」を体現されているのです。ビジネスでも前に進むには、実際に現場に立って、現物を見て、現実を知らなければならない。そうしなければ変化に対応できません。

――近年、SDGsやESG投資などの文脈を含む、長期的視野に立った企業の成長・価値が再評価される傾向があります。井村屋における長期的価値についてはどのようにお考えでしょうか。

浅田未来を予測するとき、ある目標を想定し、そこを起点に現在を振り返って今何をすべきかを考える「バックキャスティング」という方法があります。例えば、27年後、われわれが創業150周年を迎えたときにどんな会社になっているべきなのか。その理想の姿から逆算してみて、現在やるべきことに取り組むようにしています。

 今後、どのような危機が訪れようとも、対応できるような基本的な能力を身に付けなければならない。そのときに考えていては遅いんです。売り上げが落ちても、従業員やお取引先に迷惑をかけないような経営体質にしなければなりません。

 それにはつねに警戒しながら、「自主」「自立」「自律」を確立していかなければならない。それに最近は「自発」という言葉も付け加えています。自分たちだけでは絶対に生きてはいけない。やはり周囲と協調し、共感を得るには「自ら発する」ことも大事になってきます。長期的価値をつくっていくには、こうしたものをベースにつねに変革していくことが重要だと考えています。

――井村屋グループは三重県の企業ですが、地元との関係性において大事にしていることは何でしょうか。

浅田買い手よし、売り手よし、世間よしという「三方よし」の精神です。どんなビジネスであれ、世間に信頼してもらえなければ永続することはできません。そして世間に迷惑をかけないことも重要です。私たちは今コージェネレーションの電力システムに取り組んでいます。これは電力と廃熱の両方を有効利用するものですが、万が一、電気が使えなくなったときに、使っているガスを活用して発電していくシステムを構築しようとしています。もし停電しても、システムが稼働していれば、工場で使う井戸水を継続的に使うことができます。これはいざとなったときに生産を止めずに済むメリットがあると同時に、近隣の方に生活用水を供給できるというメリットもあります。さらに災害の際などに、スマホ充電に活用することもできます。狭い範囲かもしれませんが、電気があればできることが変わってきます。近隣をはじめ、社会に評価いただける企業になるべく今準備を進めているところです。その意味でも、これからは「利他の心」が大事になってくると思います。

アンナミラーズの
立ち上げからリストラまで

――EOY日本大会からまもなく1年が経とうとしています。この大会は、浅田会長にとってどのような体験だったのでしょうか。

浅田とてもいい体験をさせていただきました。私はこれまで自分はアントレプレナーではなく、1人のランナーとしてある区間を走っているにすぎないと考えてきました。しかし、企業の中でもバトンをつないできた人たちは、その時代ごとに変化を成し遂げてきたアントレプレナーだったかもしれない。そう考えるようになりました。

 これからもアントレプレナーの定義を狭く考えることなく、時代の変化に対して、アントレプレナー的資質を持って対応していきたいと考えています。

――浅田会長が社内でアントレプレナー的な最初の体験をしたのは、いつごろでしょうか。

浅田米国の会社と提携し、新事業であるレストラン「アンナミラーズ」を立ち上げたときです。30代初めでした。当時はこのアンナミラーズの事業を早く拡大して、別会社として株式上場させたいと夢見ていました。ただ、新事業ゆえ、会社に教えてくれる人がおらず、レストランビジネスのことは、本を読んだり、セミナーや勉強会に参加したり、すべて外から学びました。それは非常に勉強になりました。

 その後、アンナミラーズは20店舗以上展開させたものの、結果として今は1店舗しかありません。その過程の中で、リストラの実務を行ったのは当時社長であった私であり、立ち上げから店を閉めるまですべてを経験しました。

 その経験から、本当に多くのことを学び、今リーダーとしての行動に生かされていると思っています。「創業は易く守成は難し」という言葉がありますが、守りながら成長させることは本当に難しい。アントレプレナーは創業だけでなく、変化に耐えて新しいものをつくっていく必要があるからです。

――井村屋グループは創業家が経営に携わってきましたが、一族の経営者とビジネスマン経営者の違い、役割などについて、どのようにお考えでしょうか。

浅田オーナー経営者とビジネスマン経営者の役割は大きく異なります。オーナー経営者は創業者を起点としたビジネスの承継と子孫繁栄のために家を守ることを求められます。一方で、ビジネスマン経営者はある1区間を走るランナーとして、多面的にビジネスの発展に貢献することが問われます。歴史の長い会社の中には創業者一族だけで経営されているところもあるかもしれませんが、やはり企業を大きくするためには、外部の知恵を活用する必要があります。今はプロ経営者と呼ばれる方々も登場しているように、企業は創業家とともに多様性があってこそ成長できると考えています。

――浅田会長は、創業者一族の同級生(井村正勝氏)に誘われて井村屋に転職されました。

浅田28歳のときです。大学を卒業して、醸造会社で5年ほど働いてからの転職でしたが、今考えたらいいタイミングだったと思います。転職を決意し、お世話になった会社の上司に申し上げにいくと、こう言われました。 「創業者の長男に誘われているんだ。周囲はその縁故で途中入社したと理解し、それは生涯ついてくる。そこで言っておきたい。3倍働いて評価は同じだぞ。その覚悟があれば飛び込め」と。

 厳しい励ましでしたが、腹に響きましたね。それ以来「人の3倍働いて一人前」という言葉がつねに自分を励ます叱咤激励の金言となりました。今もコロナ危機で変革の波が押し寄せる中で、「人の3倍働いて一人前」という言葉がよみがえってきます。

 ビジネスには越えなければならない山があり、渡らなければならない川がある。いわば、継続的に努力しなければならない。そのときに「人の3倍働いて一人前」という言葉がつねに心の中によみがえってくるんです。

メンターは皆、叱り上手
叱っていながら情がある

――浅田会長はこの若いときの上司をはじめ、仕事や人生で転機となるときに必ずメンターとなる人に出会っていますね。どうすれば自分のメンターを見つけることができるのでしょうか。

浅田「俺がメンターになってやる」と名乗り出る人は誰もいません(笑)。だからこそ、かわいがられるようにすることです。今私の人生を振り返るとさまざまなメンターがいますが、メンターという言葉を知ったのはずっと後のことです。メンターは相談者ではありません。人生の師なのです。

 そんな人生の師に可愛がられるには、相手の懐に飛び込むことです。しかも等身大の自分のまま飛び込む。ウソはつかない。そして話をすれば、必ず怒られます。しかし、怒られても行く。怒られるために飛び込んでいくようなものです。

 メンターは皆、叱り上手です。そして叱っていながら情がある。ホロッとさせるのがうまい。私もそんな方々に人生を教わりました。誰もが悩んだら、相手の懐に飛び込むことが必要なのです。今は好んで叱られにくる若者は少なくなりましたが(笑)、私もメンターとしてお役に立てることがあればと思っています。

――アントレプレナーとはどういうものか、ご自身の定義、使命感、理想像などはありますか。

浅田新しい価値をつくる人だと思います。今までなかったものをつくり上げていく。あるいは次の目標になるものを世間に提案していく。それに事業の大小は関係ありません。あくまで世の中に新たな価値を生み出すフロントランナーであればいいのです。

 EOY日本大会に参加したときも多くの魅力的なアントレプレナーに出会いました。大きく成功できるかどうかはわからない。でも、見ているもの、視線の先が魅力的で、相手を魅了する。それがアントレプレナーだと思います。

――この連載シリーズは、「アントレプレナーを応援する」という思いも込められています。起業を目指す方にメッセージをいただけますか。

浅田これだけ大きな変革が起きている中で、これまでのビジネスの延長線上で生きていくのは難しいように思います。いったん立ち止まってしっかりと考えながら、早い段階で新たなステージを見つけていく。今できることに集中しながら、一方で将来を探っていく。そうやってバランスを取りながら、前に進んでいくことが大事です。コロナと闘いながら、経済を動かしていくにもバランスが必要です。今大事なのは片方に大きく振れるのではなく、微妙にバランスを取っていく「やじろべえ」のようなバランス経営です。今は一直線に進める時代ではない。だからこそ、大きな視点を持って、バランスを取りながら経営していくことが重要だと考えています。

文:國貞文隆
写真:今祥雄
取材:2020年9月30日

浅田剛夫(あさだ・たけお)
井村屋グループ会長

1942年生まれ。65年中央大学経済学部卒業後、醸造会社に入社。70年に井村屋製菓(現井村屋グループ)に入社。93年取締役、99年常務取締役、2001年専務取締役、03年社長に就任。10年10月持株会社制移行に伴い、井村屋グループ社長、13年6月から会長に就任し、現在に至る。