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日本交通
会長
川鍋一朗
「結果」だけが自分を守る
タクシー業界大手、日本交通会長の川鍋一朗氏はケロッグスクールでMBAを取得後、マッキンゼーを経て、2000年に家業である日本交通に入社した3代目だ。世間では、その恵まれたキャリアから「タクシー王子」と称されることもあったが、入社当時は1900億円もの巨額負債を抱え、立て直しに奮闘。社員から反発も買い、相当な苦労をした。だが、今では業界を牽引するリーダーに成長。タクシーのIT化にも積極的に取り組む。そんな川鍋氏に、3代目としての苦労やビジネスをしていくうえでの心構えについて聞いた。
「全国タクシー」を
日本のプラットフォームに
――現在のタクシー業界の最新のテーマと、今川鍋さんが積極的に取り組んでいる分野とは何でしょうか。
川鍋今掲げているテーマは、「タクシーの進化」ということに尽きます。これまでオペレーションが中心だったタクシー産業に、ITという大きな波が押し寄せてきた。周知のように海外では配車アプリのUber(ウーバー)が大きな存在感を示しています。日本でも「タクシー×IT」、つまり、ITによってタクシーを進化させることがいちばんのテーマとなっています。
それは同時に私自身のテーマでもあります。Uberとタクシーではビジネスモデルは違えども、お客様の移動に関するユーザーエクスペリエンス(UX)を最適化するという目的は同じです。ITという武器を使って、さらにお客様の満足度を高めるために、日々新しい仕事に取り組んでいるところです。
――今後、タクシー業界はITでどう変わっていくのでしょうか。
川鍋たとえば、相乗りができるようになったり、定期券で乗車できるようになったりするでしょう。いわば、牛丼のように“早い、安い、うまい”といった顧客ニーズにより近づくことができるはずです。実際、今も雨などで混雑していても追加料金を払えば優先的に乗車できたり、目的地に到着する前にスマホのアプリで決済ができたりするようになっています。今後は「現金で払う」という手間をなくし、もっと手軽に、しかも早く、快適に利用できるようにしなければなりません。
――そうしたITのシステムは、どのように開発されているのでしょうか。
川鍋基本的には日本交通グループのIT子会社であるJapanTaxiで開発しています。現在、私は日本交通の会長ですが、2年前から日本交通のオペレーションは社長に任せ、JapanTaxi社長としてIT企業の仕事に注力しています。今日はスーツを着ていますが、日頃はカジュアルな格好で、スーツを着る機会は圧倒的に少なくなりました。
JapanTaxiには2つの柱があります。一つはアプリ開発であり、もう一つはスマホ決済などのシステム開発です。今開発しているものは、われわれのビジネスのコアとなる部分であり、外注することができません。これまでは乗務員の採用や労務管理がタクシー業界のキーでしたが、これからはITへの対応力が競争力の源泉になっていくはずです。今は約40名のエンジニアとともに新しいシステムづくりに力を入れているところです。
――今後は、開発システムを外部に販売することもできますね。
川鍋実はすでに売っていまして、「全国タクシー」というアプリについては、国内のタクシーの4台に1台が加盟しています。これから日本のタクシーのプラットフォームになっていきたいと考えています。
MBAもマッキンゼーも関係ない
ビジネスは結果がすべて
――川鍋さんは、MBA、マッキンゼーという世界から、家業を継ぐためにタクシー業界に入った3代目社長ですが、一方で自身で創業する起業家についてはどう思われていますか。
川鍋それはただ率直にすごいなと思います。私もJapanTaxiを6人からスタートさせ、今は60人ほどの体制となり、外部から資金調達も行っています。しかし、その間に犯したミスやかかったおカネのことを考えると、事業をゼロから立ち上げることは本当に難しいことだと実感しています。
私は3代目のオーナー社長として、ある程度の地位からスタートしましたし、おカネも自由に使うことができます。しかし同時に、3代目はしがらみのあるところからスタートしなければなりません。その意味では、3代目社長といってもプラス、マイナス両方の側面があると思います。
ただ、私は物心ついた頃から祖父に「おまえが3代目だ」と言われて育ちましたから、つねにタクシーのことが頭にありました。MBAを取得したのも、マッキンゼーで修業したのも、すべてタクシー会社の社長になるため、日本交通のためです。マッキンゼーの採用面接でも「私は最長5年しかいないと思いますので」と言いましたから(笑)。タクシー会社を継ぐことで、悩んだことは一度もありません。
――実際、MBAを取ったり、マッキンゼーに入ったりしたことは役に立ちましたか。
川鍋私の人生には大きなプラスになりましたが、どんな環境であれ、結果を出さなければどうしようもありません。結果を出さなければ、人はついてこないし、どんな苦労をしようとも、まったく意味がない。結果がすべてなんです。
「結果だけがあなたを守ってくれる」と社員にもよく言っていますが、気力や体力がある若いうちに、結果を出す経験をどれだけ積めるのか。結局、打席に立つことでしか本当の意味でのヒットを打つ感覚の練習はできないですから。
――どんな打席に立って、どんなヒットを打ってこられましたか。
川鍋30歳のときに日本交通に入って、MBA、マッキンゼーの感覚で新規事業を立ち上げたものの、いきなり赤字をつくってしまいました。そこからいろんな実地体験を繰り返し、何度も失敗したことが今の私の大きな力となっています。
ただ、失敗はどんどん忘れていくものです。私も周りも、そうです。だから、成功したことだけを言いまくる(笑)。そのうちなんとなく成功体験を積んでいることに気付くんです。
――3代目社長として、何かにチャレンジしなければ生き残れないという危機感はありましたか。
川鍋もちろんありました。誰も助けてくれませんから。日本交通に入ったときは、借金もたくさんありましたから、本当に身に沁みました。「大丈夫か」と声をかけてくれる人はたくさんいるんですが、実際に時間や人脈を使って助けてくれる人はごくわずかです。結局、ピンチになったら、自分が動かないと誰も助けてくれない。自分が動いて初めて、要所要所で手助けをしてくれる人が出てくる。結局自分で動いて結果を出すしかないんです。
あとから振り返ると、確かにマッキンゼー時代の人脈やとことん突き詰める考え方、ビジネススクールで自分のレベルを確認できたことは大きなプラスになりました。それは、自分が寝ずに必死にやりさえすれば、大外しはしないという自信。そして、ある範囲で、とにかく球を打ち続ければ何かに当たるはずという感覚を養うことができたことです。そのうえで、オーナー経営で会社の規模もある程度大きかったこともあり、やればやるほど、いろんな結果が出るようになりました。
――そうやって試行錯誤を繰り返したことで、結果を出せるようになったのですね。
川鍋実は、最初に日本交通に入ったときは、社員も私に期待してたフシがありました。ちょうど2000年でカルロス・ゴーン氏が日産の再建を始めたころです。「この人は、タクシー界のゴーンかもしれない」という期待の目があったんです(笑)。しかし、新規事業で赤字をつくって、一気に社員が冷めました。
それは自分にとって、大きな大きな挫折でした。経歴、レジュメはいいはずなのに、何かおかしいぞ。実績がぜんぜんついてこないじゃないか、と。大株主でオーナーなのに、社員は冷たい目で見るんです。まぁ、当たり前ですよね。
それが逆転しはじめたのが、小さなプロジェクトの成功でした。うまくいくと少しずつ社員の目の色が変わるんですよね。そのとき「こうも人間は単純なものか」と思いました。誰であろうが、良い結果をもたらしてくれるのなら、みんながついてくるんです。「なるほどシンプルだな」と思いました。MBAやマッキンゼーという装飾物が自分の中ではげ落ちた瞬間でした。経歴なんて関係なかったんです。今振り返ると、そういう体験が早いうちにできて良かったと思っています。まだ若くて気力も体力もあったから、失敗しても立ち直ることができました。
――自分が変わったと思われたのは、やはり日本交通に入ってからですか。
川鍋そうです。それ以前と以後では大きく異なります。まるで違う世界、違う自分がいると感じています。日本交通という大きな母体があったからこそ、変わることができた。それが自信にもつながりました。
ですから、そういう意味でも、創業者という方々は本当にすごい。例えるなら、戦場に丸腰で出ていって、最初に相手を組手でやっつけて、小銃を奪って、そこから徐々に力を付けていくわけですよね。こちらはいきなりガンダムくらいのモビルスーツに乗って戦うようなものです(笑)。私はモビルスーツの操縦方法がわからなくて苦労しましたが、一度覚えれば、格段に戦いやすくなりますから。
愚直に取り組むことが
運を引き寄せる
――社長になられてから、愚直に続けていることは何でしょうか。
川鍋タクシーというものに対する執着心です。しがみついているというか、これだけは誰にも負けたくないという気持ちを持っています。自分以上にタクシーのことを深く考えている人はいないという自負もあります。それだけタクシーのことを日々考え、やるべきことをやってきました。
皆さんからたくさん意見をもらっても、最後は自分の頭できちんと考え、自分で行動するしかありません。誰も助けてくれませんから。意思決定の責任はすべて自分にある。結局は、自分で決めるしかないんです。
――川鍋さんは経営コンサルタントを経験されていますが、意思決定権者である社長とは大きく仕事の仕方が異なるものなのでしょうか。
川鍋経営コンサルタントは意見を言う人で、社長は決断し実行する人です。まったく役割は異なります。ただ、一度意思決定の醍醐味を味わってしまうと、社長の仕事はがぜん楽しくなります。自分で意思決定して結果が出たときほど、うれしいことはありませんから。
忘れもしません。配車アプリを最初に開発したとき、実際にできるかどうか、東京駅の北口でタクシーを自分で呼んでみたんです。数分後、アプリの指示通りにタクシーが自分の前に到着したときは、「これはいける!」と体がゾクゾクしました。サービスをスタートさせると思惑通り、大きな反響があり、物事がグッと進んだという手応えがありました。
――愚直以外で、成功につながった取り組みやきっかけはありますか。
川鍋うーん、運かな。愚直さこそがビジネスを成功させる秘訣だと思っていますが、そうすることで運を引き寄せたのかもしれません。振り返ると、あのときあの人と出会ったことでうまくいったという運のようなものは、たいてい愚直に仕事に取り組んだことがきっかけとなっています。
何事も愚直にやるしかないんです。私は、ビジネスの悩みはビジネスでしか解消できないと思っています。正直、酒もそれほど飲みませんし、スポーツで発散しようが何をしようが、ずっとビジネスの悩みは頭に残っています。結局、ほかのことでは発散できない。だからこそ、愚直にビジネスをやり続けるしかないんです。
日本のタクシーで
世界一のUXを実現したい
――EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーなどの起業家を応援する取り組みについては、どうお考えですか。
川鍋起業家の皆さんにとっては、とても心強いと思います。投資家に顔を売ることができたり、自己ブランディングにも役立ったりする。会いたかった人に会うことができたり、友達になれたりすることもあるでしょう。
そこでいろんな人とつながりができれば、ときには経営の相談相手にもなってくれます。私も、自分と同じ境遇を味わったことのある、信頼できる経営者の知人に相談するときがあります。1年に1回しか会わない人でも、同じ境遇の人は親身になって相談に乗ってくれます。
――本を読んで経営の参考にするときもありますか。
川鍋もちろんあります。自分が突き当たった問題のほとんどは、過去の経営者も同じように経験しています。自分の境遇と似たような人の本を読むと、どう危機を乗り越えればいいのか、わかるようになります。
ドラッカーの本や、成功した経営者の本はよく読みます。最近印象に残っているのは、アメリカの起業家であるピーター・ティールの本です。著書の『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』は衝撃的でした。私が実践して感じたことがたくさん書かれており、「まさに、そうだ!」と思うことばかりでしたね。
私もタクシーと違うIT企業を率いることになって、ゼロから多くのことを学んでいます。これまでのタクシー会社の社長業とはまったく異なる経験をしており、今は自分の細胞が活性化しているところです。
――今後、日本交通グループをどんな会社にしたいですか。
川鍋われわれの事業は公共交通です。そのため行政や政治と一緒になってやっていかなければならない部分もあります。新規事業はグレーゾーンを走りながら消費者を味方につけるという方法もありますが、タクシーは人の安全安心に関わる事業ですから、グレーゾーンがあってはならない。誰かがきちんと少しずつ仕事を積み重ねることでしか、前には進まないし新しいことは生まれません。その誰かこそ、私は日本交通でありたいと思っています。これからもリアル×ITのど真ん中で戦い、まずJapanTaxiから国民的なアプリを生み出したい。そうして日本人の移動を改善し、世界一のUXを実現したいと思っています。
文:國貞文隆
写真:今祥雄
取材:2017年10月18日
川鍋一朗(かわなべ・いちろう)
日本交通会長、JapanTaxi社長
1970年東京都生まれ。慶應義塾幼稚舎から中、高を経て、93年慶應義塾大学経済学部卒業。97年ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院修了。同年マッキンゼー日本支社入社。2000年日本交通入社。専務、副社長を経て、05年代表取締役社長に就任。15年より会長、JapanTaxi社長を兼務。
“世界一”を決める起業家表彰制度
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーとは?
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーは、1986年にEY(Ernst&Young=アーンスト・アンド・ヤング)により米国で創設され、新たな事業領域に挑戦する起業家の努力と功績を称えてきた。過去にはアマゾンのジェフ・ベゾスやグーグルのサーゲイ・ブリン、ラリー・ペイジらもエントリーしている。2001年からはモナコ公国モンテカルロで世界大会が開催されるようになり、各国の審査を勝ち抜いた起業家たちが国の代表として集結。“世界一の起業家”を目指して争うこのイベントは、英BBCや米CNNなど、海外主要メディアで取り上げられるほど注目度が高い。