事件から10年、尖閣沖「特攻漁船」船長の末路 突撃取材で明らかになった意外すぎる真実

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「とにかく、取り調べにあたったあの2人ときたら……」

当時の船長はトラウマを背負ったように、取り調べの話にこだわり、あからさまに嫌な顔をして、不機嫌になった。相当、気に食わなかったらしい。

「あの2人は、日本でもそのうち殴り殺されるんじゃないか。あの2人がひどいことをするから、中国と日本の関係も悪くなったんだ。両国の損失だよ」

そこまで言っていた。

ガラリと変わった船長の暮らし

船長が暮らすのは、経済特区として知られる厦門(アモイ)から、車で北に2時間ほど行った福建省の港町だった。車も通れなくなるほどに建物が密集した路地を入った、石造りの3階建ての家。分厚い眼鏡に杖をついて歩く船長の母と、ショッキングピンクのスウェット上下を着込んだ妻に出迎えられて、2階の部屋に通された。

そこは20畳ほどのリビングスペースになっていて、隅にソファーセットが置かれていた。そこですぐに目についたのは、大型の薄型テレビの脇に飾られた大きな旗だった。

臙脂色の下地に金文字が書き込まれている。その右肩に「贈」とあって船長の名前が見え、そして中央に大きくこうあった。

「中華民族英雄」

送り主と日付は「一中国百姓 二〇一〇年十月一日」とある。「百姓」とは庶民のこと。10月1日は国慶節にあたり、中華人民共和国の建国式典が行われる。船長が航空機で本国に戻ったのは、9月27日だった。打ち上げ花火とブラスバンドの出迎えがあり、まさに英雄としての待遇だった。

ほどなく階段を上って、黒いジャンパーに濃いグレーのセーター、黒い細みデニムに真っ白なスポーツシューズの船長が現れた。

彼はL字に組み合わさったソファーの角に、私と膝を突き合わせるように座った。茶の産地として知られる福建省では、茶碗で煎れたお茶をおちょこのような小さな器に分けてたしなむ習慣がある。彼は手慣れた手つきで私に茶を振る舞い、ポケットからタバコを出して勧めてきた。

こんな昼間に家にいる。だから尋ねた。仕事はどうしているのか。

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