すれ違うだけの「言葉の定義」論争
舟津:本書の50ページで引用されている、精神病理学者ブランケンブルクの「自然な自明性の喪失」というフレーズはキーワードだと思います。これは自明でしょう、という認識がまったく通用しなくなったという感覚をもつことが増えました。カジュアルな例ですけど、この前SNSで「10時10分前とは何時のことか」という「論争」があったんですよ。
與那覇:最近、若い人の用語法が変わってきたそうですね。「1000円弱」とはいくらか、とか。
舟津:僕は今まで生きてきた中で、10時10分前は9時50分のことだと思ってきました。これは論理というより慣用の問題なんですよね。字面だけ汲み取れば、10時10分のちょっと前、10時9分のことだと取っても、論理的には間違っていない。でも、社会の了解として9時50分を指すんだよ、で終われる話のはずなんです。ところが、譲らずにずっと戦っている人がいる。まさに「間違えた」と言えないんですよね。
與那覇:「教養人」のはずの学者も、理系と文系の争いでよく同じことをやっています。文系の世界で「単著」と言えば、本のことを指す。理系は書籍でなく学術論文が本業とされるので、共著者なしで書いた論文を指す。慣習の違いですね、で終わる話なのに、延々と「その用法は間違いだ」とねばり続ける人がいる。
争い続ける人の側から見ると、むしろ「自明性が過剰」なのかもしれません。俺にとっては10時9分が自明なんだ、この自明さは絶対に譲らないぞ、と。
舟津:なるほど、面白いですね。当事者からすれば自明さが喪失しているというより、自己の自明さが強すぎるから、戦いたくなる。



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