與那覇:当時、宮台真司さんが指摘したのが、そうした団塊親が「子どもを叱れない」という問題でした。本人に学生のころ社会規範を拒絶して、俺たちに命令するなと叫んできた過去があるから、子どもに自分の価値観を押しつけるわけにいかない。
ですが自分にとっての自明さを「当たり前だろ!」として、周囲にわからせたい欲求を抑え込むと、より不健全な形で爆発します。平成半ばに起きたのは、そうした「家父長的」な政治家のブレイクで、石原慎太郎・小泉純一郎・橋下徹といった人が大人気になった。同じころTVで流行ったのが、細木数子や美輪明宏のような「大御所キャラ」が、若いゲストにダメ出しして叱り飛ばす番組です。
「代わりに怒鳴ってもらう」役割を、政治家やTVスターが担ったのは、まだSNSが普及していなかったからですね。平成最後の10年間で総SNS社会ができると、国民大の超有名人ではない、フォロワー数万人くらいの「ミニスター」でも同じ役割を担えるし、まったく無名のアカウントでも数十人で一気に押し寄せれば、十分相手を威圧できる。それが令和に横行するネットリンチの底流でしょう。
なぜ謝ると、かえって叩かれるのか
舟津:そこには必ず権力が関わってきますよね。かつては親に権力があった。今は親の権力が解体されていて、権力をどう扱ったらいいか、みんなが持て余している。権力を持っている時点でダメだと強く否定する論調がある一方で、誰かをコンプラ違反だと摘発して、ましてやキャンセルするのは、すごく権力的な行為です。そこは当然のように認めている。いびつな形で他罰感情が表出して、とめどなくなっている。
與那覇:数の力で権力を振るいつつ、その一人ひとりは「権力的な存在であること」を否定し、素朴な気持ちを投稿しただけだと居直る。『なぜ「まちがえた」と言えないのか』で指摘したとおり、そうした小市民的な暴力を支えるのは、「安全に人を殴りたい」という欲求なんですよ。
今日のコンプラ社会では処罰を恐れて、ネガティブな発言を躊躇する人は多い。でも言いたい欲求はあるから、自分がコンプラ違反に問われず「安全に叩ける相手」を探す。コロナでいえば、自粛ムードなのにあいつは酒飲んでたぞ、とかですね。
そんな環境では、間違いを認める発言をすると「じゃあ叩いていいよね? だって間違えたんでしょ?」と理解されてしまう。つまり真摯に謝り反省することが、かえって「安全に叩けますよフラグ」を立てることになる。それがわかっている人ほど、意地でも謝らないわけです。
(10月30日に配信される第3回に続く)



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