自分の命を生き切り、物の命を使い切る
浅田美代子さんと樹木希林さんの深い交流は、浅田さんのデビュー作であるドラマ「時間ですよ」(TBS系、1973年)での共演以来、希林さんが亡くなるまで続きました。
「希林さんはよく我が家にやってきて、私が作る“ありもの料理”を『おいしい』と食べてくれました。それから『洗い物係は私だから』と言って洗い物を全部してくれるんです。時にはワインを飲んでソファで眠り込んでしまったり。そういう希林さんを見るのは、うれしかったですね」
「お互い嘘がなく、気を使わず、相手の毒も知っていて、一緒にいて楽だから仲良くいられたのだと思います」
希林さんは“こうしなさい、ああしなさい”と口出しする人ではありませんでしたが、「美代ちゃんが死んだらまわりの人が迷惑だから、物を減らしておきなさい」ということだけは最後まで言い続けていたそうです。
「“余計な物を持たない、買わない”を希林さんは貫いていました。靴は3足だけ、服も数着しか持たず、ほとんどおさがりでした。『今日の服は也哉子(ややこ・娘の内田也哉子さん)のおさがりで、首元が寒いから、長い裾を切って襟にしたの』とか『男性用のズボンを切って、脚の部分を袖にしてみたの』とか、いつも奇妙な格好をしていましたね(笑)」
「けれど、それが希林流になっていて、何だかかっこよくて。きものを作り変えてドレスにしたり、着倒したセーターはほどいてパッチワークのベッドカバーにしたり。物を持たないことはもちろん、物の命を使い切ることを希林さんは大事にしていました」


