「私もそれを見習って、着古したTシャツなんかは全部切ってまとめておき、台を拭いたり、鏡を磨いたり、犬のお世話に使ったりしているんですよ」
60代後半を迎え、希林さんほど思い切りよくはいかないものの、物との付き合い方を見直すようになったと浅田さん。「ハルメク 古着でワクチン」(不要になった衣類等をまとめて送ることで開発途上国の子どもたちの支援につながるしくみ)も活用しているそう。
「物を減らしたいけれど、私は“捨てる”という行為が嫌なんです。古着でワクチンは、服でもバッグでも靴でも大きな袋にボンボン入れて送るだけでしょう。捨てるのではなく、何かのお役に立てるというのが気分的に楽で、ずいぶん断捨離させていただきました」と浅田さん。
老い方も死に方も、希林さんは自分で選んだ
希林さんは、物の命ばかりでなく、自分の命も使い切る覚悟と自覚のある人だった、と浅田さんは振り返ります。
「2004年に乳がんが見つかったときも、希林さんは淡々としていました。自ら選んだピンポイントで放射線をあてる治療法が合っていたのか、がん転移後もその都度治療して、『私、死ぬ死ぬ詐欺って思われてないかしら』と笑ってましたね。その間も精力的に映画に出て、普段通りに暮らしていました」
常々「がんは死ぬまでの準備期間があるところがいいよね」と話していた希林さんが優先したのは、仕事と普通の暮らし。しかし、18年夏に大腿骨を骨折すると、最後の1カ月はほとんど入院生活となりました。
「私はほぼ毎日お見舞いに行きました。希林さんは気丈で、痛い、苦しいという泣き言は、家族にも私にも一切言わなかったですね。だけど、日が暮れると寂しかったんじゃないかな。いつも夕方『もう帰りなさいよ』って言うんですが、私が病室に残っていると、ちょっとほっとしたような顔をしていました」

