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ライフ #日本野球の今そこにある危機

松井秀喜に「名選手必ずしも名監督ならず」は当てはまるのか…? 「織田翔希のドラフト強行指名」翌日の就任発表の"深い意味"

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巨人の監督就任会見で、山口寿一オーナーと握手する松井秀喜(写真:時事)
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しかし松井は、2002年11月、海外FA権を行使してMLBへの移籍を決意する。

記者会見で松井は「今は何を言っても裏切り者と思われるかもしれませんが」と述べ、謝罪の言葉を口にした。巨人という球団は、自他ともに認める「球界の盟主」であり、他球団のように自分の野望だけで移籍ができるような球団ではない。

1995年の野茂英雄以降、NPBのスター選手がMLBに次々と移籍していたが、巨人からは救援投手の柏田貴史と野村貴仁が移籍した事例があるものの、主力選手は1人も移籍していなかった。

絶対的な主軸打者である松井の移籍は世間に、大きな衝撃を与えたが、素直に頭を下げる松井の実直な姿に、多くの人々は理解を示した。

巻き起こっていた「松井秀喜監督」待望論

松井にとっては、イチローの華々しい活躍が脳裏にあったのだろう。1歳違いのイチローとは、高校時代から互いを意識する存在であり、リーグは違っても、ともにリーグ最強打者として切磋琢磨する間柄だった。

それだけにイチローのMLB移籍、そして予想を大きく上回る活躍は、松井にとって極めて刺激的だったのだろう。

MLB一の人気球団、ニューヨーク・ヤンキースに入団した松井は、NPB時代よりも成績は落ちたものの、在籍7年間で4度の100打点超えを記録し、デレク・ジーター、アレックス・ロドリゲスなどのスーパースターに伍して、打線の中軸を担った。

(写真:Rich Pilling/GettyImages)

2006年、外野守備の際に手首を骨折する大けがを負ったが、翌2007年には25本塁打、103打点と復調した。35歳の2009年オフにはヤンキースをFAとなったが、松井は巨人に復帰することなくエンゼルス、アスレチックス、レイズと移籍を繰り返して2012年に引退した。

この時期から「松井秀喜監督」待望論が巻き起こったが、松井がこれに応える気配はなかった。

1つには、MLBで成功した松井秀喜が実質的に「富裕層」になったことが大きいだろう。イチロー、黒田博樹、上原浩治、松坂大輔など、MLBにメジャー契約で移籍し、それなりの成績を残した選手は、引退後、NPB球団の監督や常勤の役職に就くことはあまりない。アメリカに生活拠点を置き、日本では解説やテレビ出演する程度。

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