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司馬遼太郎が『坂の上の雲』に描かなかった日露戦争…増税、日比谷焼き打ち事件、反戦の声――物語に不在の「銃後」の人々

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記念館三笠
『坂の上の雲』で司馬遼太郎が描かなかったものと、その理由を探る(写真:Mokky/PIXTA)

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司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描かなかった日露戦争の「銃後」とは。庶民の姿に光を当ててきた戦後歴史学との違いを見つめます。成田龍一氏の『司馬遼太郎の幕末・明治 『竜馬がゆく』と『坂の上の雲』を読む』から抜粋・編集してお届けします。

描かれていないもの

『坂の上の雲』は、危機にあたるリーダーとサブリーダーの物語として描かれ、彼らの退場で幕を閉じました。

司馬は、物語のはじめで「私は日露戦争というものをこの物語のある時期から書こうとしている」といっていましたが、3人の指名された主人公のうち正岡子規が途中退場してからは、司馬が描いたのは戦闘に焦点をあわせての日露戦争でした。

秋山好古・真之の兄弟と彼らが所属する陸軍・海軍の組織の物語となり、このために、日露戦争の「銃後」(この言葉は、この時代にできました)の人びとの顔はみえてこず、秋山兄弟の妻たちでさえ、戦時中には登場しません。

この時期の新聞に日露戦争の様相とともに掲げられている「銃後」の表情は、司馬の関心外であり、『坂の上の雲』には描かれなかったことです。一家の働き手を失い貧窮する留守家族をはじめ、日露戦争ゆえに「日本国内」で起こっていた社会問題には、まったく言及されないこととなりました。

司馬は「日本の戦時財政」はうまくいき、「奇蹟的」に「物価高という戦時の悪現象をおさえることができた」と言い切ります。

しかし、司馬自身、物価は2~20パーセント上がったと言っていますし、日露戦争時には増税がありました。

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