司馬は増税案の通過を「民族的実感としては祖国戦争であった」ということの「証拠のひとつ」としてあげていますが、地租が増徴され、営業税、通行税や毛織物消費税、砂糖消費税が新設された具体相や、中小商工業者までもが増税の反対運動を展開している動きは、関心から除外されています。また、煙草や塩が専売制になったことにも、ふれてはいません。
司馬は、日清戦争の叙述でも、「戦後」や講和条約についての記述はごくあっさりしていましたが、日露戦争においても同様です。
アメリカのポーツマスでむすばれた日露の講和条約の内容について記さないままに、『坂の上の雲』の物語を閉じています。そのため、ポーツマス講和条約の内容に不満をもった人びとが起こした暴動である日比谷焼き打ち事件について、まったく言及することはありませんでした。
日露戦争時の課税は大衆課税であり、そのしわ寄せを全身に受けることになった東京の人力車夫や日雇い、あるいは職人といった雑業者たちが、講和内容への不満をきっかけにして起こした、この焼き打ち事件=暴動は、警察だけではなく軍隊が出動し、戒厳令がしかれる大きな事件となりました。
日比谷公園に集まった人びとは、国民新聞社、外務省、首相官邸などに押しかけ、東京中の警察署や交番を焼き打ちにし、電車十数台に火をつけています。横浜や神戸でも、同様の暴動が起こるほか、講和反対の大会や集会は全国各地で開かれています。
この民衆暴動や非講和運動は、日露戦争と講和条約に対する不満が堆積していることを示していますが、司馬はこのいわば「国民」の分裂には言及しません。
日露戦争直前からあった「国民」の分裂
「国民」の分裂は、反戦論・非戦論というかたちで、日露戦争直前から見られました。
『万朝報』の記者であった幸徳秋水、堺利彦と内村鑑三が、『万朝報』が主戦論に転じたときに退社し、幸徳・堺は週刊『平民新聞』を創刊して反戦論を主張したことが、『坂の上の雲』では数行しか書かれていません。


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