これらは司馬が描かなかったことですが、(司馬とは逆に)戦後歴史学が力を注いできたのは、日露戦争がつくり出した矛盾と社会問題の局面です。
海野福寿『日清・日露戦争』は、「日露戦争の終結」という章のあとに「日露戦中・戦後」という章を設け、「戦争の犠牲」「増税につぐ増税」「日比谷焼き打ち事件」「地方改良運動」という節によって、銃後と社会運動の局面――都市と農村の困窮生活と反戦や生活圧迫からの社会運動を描いています。
さらに「朝鮮の植民地化」という章がつづき、「日露戦争と朝鮮」の節も設けられています。
司馬の歴史認識/歴史像と、歴史学の歴史認識/歴史像に、かかる開きがあることが、うかがいしれます。さきの日比谷での焼き打ち事件を戦後歴史学は「大正デモクラシー」の出発点とします。
「社会問題」を軸に、「(民衆)運動」と「政策」を描くことが戦後歴史学の関心であり、1960年代から70年代にかけても、歴史学は、「問題」を背負うがゆえに、対抗的に「運動」を担う主体としての「民衆」の発見に力を注いできました。
司馬と戦後歴史学はかかる関心のずれをもちますが、そのことは互いに意識していたといってよいでしょう。
戦後歴史学への対抗意識
司馬は、『坂の上の雲』のなかで問わずがたりに語っていたように、戦後歴史学に強い対抗意識を持っていました。
『坂の上の雲』文庫版の第5巻で、「後世のある種の歴史家たちは、一種の幻想をもって庶民史を権力からの被害史として書くことを好む傾向がある」といっていますが、戦後歴史学の歴史認識を司馬は「権力からの被害史」として把握しています。
このとき、司馬はつづけて、「明治になるまでのあいだ、他の歴史にくらべて庶民に対する国家の権力が重すぎたことは一度もない」といい、国民国家成立の以前と以後を区別したうえで、「明治の庶民」にとって国家の重圧は「さほどの苦痛でなく」、ときには「甘美」でさえあり、「明治国家は日本の庶民が国家というものにはじめて参加しえた集団的感動の時代であり、いわば国家そのものが強烈な宗教的対象であった」といいます。



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