僕が英語をつまらないと感じていた頃、よくやっていたことがあります。
西尾維新さんの作品の英語版や英語圏での紹介を探し、日本語独特の言い回しがどう表現されているのかを見比べることです。
西尾維新さんの作品には、「これは日本語でしか成立しないのではないか」と思うような言葉遊びが、次々と登場します。
僕はアニメのファンだったこともあり、英語でどう処理されているのかが気になりました。
たとえば、『クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識』には、「人間失格」という二つ名を持つ零崎人識というキャラクターが登場します。
この「人間失格」は、英語圏ではHuman Failureと説明されることもあれば、太宰治の英題と同じNo Longer Humanとされることもあります。
Human Failureなら、「人間としての失敗者」というキャラクター性が強く出ます。一方、No Longer Humanなら、太宰治の作品を連想させる仕掛けを英語でも残すことができます。
同じ「人間失格」でも、どちらを選ぶかによって、前に出る意味が変わるのです。キャラクターの印象を優先するのか。元ネタとのつながりを残すのか。言葉遊びの多い作品ほど、翻訳家が何を残し、何を諦めたのかを考える面白さがあります。
椎名林檎の歌詞で身近になったこと
音楽でも同じことができます。
椎名林檎さんの楽曲『孤独のあかつき』には、「走りだせ 地球は大きいから」という歌詞があります。
英語詞で歌われる「信猫版」では、この部分に対応する表現として、“way too big to hesitate”という言葉が使われています。
too〜to…は、学校でも習う「……するには〜すぎる」という構文です。したがって、「世界は、ためらっているには大きすぎる」という意味になります。
日本語の歌詞は、「地球は大きいから」とだけ言って、その先を聞き手に委ねています。ところが英語詞では、そこに「だから、ためらっている場合ではない」という気持ちまで加えています。
日本語の「走りだせ」に込められた勢いを、英語ではhesitateという言葉を補うことで表現しているわけです。
僕はこれを知って、too〜to…という構文が一気に身近になりました。文法書の例文として覚えるよりも、好きな曲の感情を運ぶ表現として出会ったほうが、ずっと記憶に残ります。


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