半導体関連の急成長を軸に、2026年12月期は6期連続での過去最高益を見込むポンプ大手の荏原。絶好調の現在からはイメージしづらいが、00年代には不祥事が続発し、経営難にあえぐ苦境を経験した。
いかにして会社存亡の危機を脱し、反転攻勢に出られたのか。その軌跡をたどると、事業整理と並行して進めたコーポレートガバナンス(企業統治)改革が、大きな転機になっていたことがわかった(前後編の前編、後編は13日配信)。
「荏原元副社長が3億不正支出、一部着服も」
刺激的な見出しが07年4月4日、全国紙の朝刊に躍った。荏原はこの前日、元副社長が部下に命じ、取引先に架空の販売手数料を支払っていたと発表。後の調査で総額は3億2000万円に上ることが判明し、一部では「不正な受注工作の口止め料の意味もあった」とも報じられた。
同年3月には談合事件への関与を問われ、独占禁止法違反で元営業幹部が有罪判決を受けた。法人としての荏原も2億円の罰金を科された。一連の責任を取り、当時社長だった島川文雄氏が、不正支出の公表と同時に辞任。04年まで計16年にわたり社長・会長として君臨し、「陰の実力者」だった相談役のA氏も会社を去った。
赤字でも止められない悪循環
相次ぐ不祥事は、いずれも「エンジニアリング」部門で起きた。その主力は水処理施設やごみ焼却炉などを扱う環境事業。A氏が祖業のポンプ依存からの脱却を掲げ、1980年代後半から多角化を進めた際、特に注力した分野だった。環境汚染問題や内需拡大を追い風に、一時は稼ぎ頭として90年代の成長を牽引した。
ただ市場の成熟に伴い競合も増えた。受注競争が激化する中、01年に発足した小泉純一郎政権は「聖域なき構造改革」で公共投資を縮小。頼りの官公需が急速にしぼみ、もともと低かった収益性は一層悪化した。エンジニアリングは00年代の10年間のうち7期で部門赤字を計上し、リストラや資産売却を余儀なくされた。

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