中学受験でも、Tさんは危なげなく、いわゆる「御三家」の一角に合格した。入学後も成績は上位。周囲には医学部志望者が多く、自分もごく自然に医学部を目指すようになった。
父親の実家は、代々続く医師の家系だった。親族には東大理三の出身者が多い。
Tさんにとって「東大医学部へ行くこと」は、いくつもある選択肢の一つではなかった。家族の中で、改めて説明する必要すらない「前提」だった。そして、それは家族の期待だけに支えられた現実離れした目標、というわけでもなかった。
高校時代には、東大志望者が数多く受験する全国模試でトップに近い成績になったこともある。その実績から見ても、東大理三は決して手の届かない目標ではなく、十分に現実的な進路だった。
しかし、その前提は大学受験の本番で崩れてしまった。
「模試の成績もかなり良かったし、当日の試験の手応えもありました。でも結果は不合格でした。本番に弱かったのかもしれません」
現役で東大理三は不合格だった。一方で、私立大学の最難関クラスの医学部には合格していた。多くの受験生にとっては、十分に「大成功」と呼べる結果だろう。
だが、両親は喜ばなかった。
浪人しても東大理三には受からなかった
「私立には行くな。東大に行け」
両親は、私立医学部への進学を認めなかった。東大理三をもう一度受けるために、浪人するよう求めた。
Tさんは嫌だった。医者になることは自分の夢でもあるが、必ずしも東大である必要性はないと思っていた。それでも彼は最終的に、両親の意向を受け入れて浪人した。浪人して通った予備校でも成績は良く、模試ではA判定を連発していた。
そして翌年、再び東大理三を受験した。結果は、また不合格だった。
1浪目の合格発表の日、母親の様子は、それまでとは明らかに違っていた。
「母はいつも落ち着いていて、論理的だったのに、その日だけはいつもの母親ではないように見えました」
Tさんが私立医学部へ進むことを、どうしても受け入れられない様子だった。


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