つまり本書には、そんな環境にありながら東大を目指し、さまざまな障害を乗り越えて合格をつかむまでのプロセスがつづられているのである。
中学3年生だった1月の平日夜、学校から戻った著者は、家の雰囲気がおかしいことに気づく。2階の寝室のドアを開けると、布団の上では両親が放心状態のままうなだれており、小学6年生だった妹は「まだ死にたくない……」と泣き崩れていた。
もう生活していけないほどお金に困っていた両親は、今後のことを話し合うなかで心中を意識していたのだった。
父は大震災の影響で仕事を辞めざるを得なくなり、僕らは、神奈川県に引っ越すことになりました。その後も父は仕事を転々としましたが、脳梗塞など複数の病気を患い、仕事を継続することが困難になっていきました。
(『ヤングケアラーの僕が東大に合格するまで』14ページより)
それまで著者は両親から、「家のことは心配しなくていい、お前は学校のことだけに専念していなさい」と言われてきたのだという。だが、実際のところ家庭の状況は想像以上に深刻だったようだ。
父親からは、あと1カ月生きるお金しか残っていないこと、祖父母に生活の援助をお願いしていること、生活保護を受給できないか検討していることなどを伝えられた。もし、それすらも無理なら、生きる道が絶たれるということも。だから妹は「まだ死にたくない……」という言葉を吐き出したのだった。
母親はこう言った。
そのとき布団の上には、1本のナイフが置かれていました。
(『ヤングケアラーの僕が東大に合格するまで』16〜17ページより)
翠嵐高校を受験する
翌日、父親に言われて学校を欠席した著者は、気晴らしをしようと横浜駅に向かい、西口商店街を歩いた。「こんな人生、やってられるかあ!」と感情を橋の上で吐き出したあと、近くのマクドナルドへ。
静まり返る店内では、制服姿の中高生たちがノートを広げて熱心に勉強をしていた。みんな、受験生だろうか。そう考えると悔しくなり、虚しくもなった。


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