これはいい稼ぎになると病院に通っていたら、ある日、守衛に「坊や、ここは病院だから、勝手によそから持ってきたものを売っちゃダメなんだよ」と注意された。どうやら、最初の頃は見逃してくれていたようだ。羊かんさんはその後もたびたび病院に忍び込んでは、豆腐を売った。
それでも暮らしは楽にならない。中学生の時には弁当を持参することもできず、常に腹を空かせていた。ある日、隣席の女子の弁当から玉子焼きを盗み食いしたのが見つかり、担任の教師に「なぜ、そんなことをした?」と問い詰められた。「弁当を持ってきてないから、腹が減って」と正直に答えたら、以後、担任が弁当を半分分けてくれるようになった。
育ち盛りの中学生は、担任の弁当をあっという間に食べ終えると、余った昼食の時間を校庭で過ごした。その姿に目を留めたのは、校長。担任から事情を聞くと、今度は校長が自分の弁当を分けてくれるようになった。
中学を卒業せずに上京して就職
羊かんさんは勉強がよくできたが、折り合いがよくなかった異母兄弟から、「中学を出たら働け」と言われていた。そこで「どうせ進学できないなら」と、先の見えない貧乏生活から抜け出すため、1953年、中学2年生の冬、ひとり上京して働き始めた。
「まだ義務教育の途中だからね、違反なんだけどさ。担任と校長は事情をわかってくれていたから、『佐藤、わかった。卒業証書を送るから』って送りだしてくれたよ」
職場は、同級生の家に下宿していた人の実家が営む東京・神楽坂の製本会社だった。
ところが、この会社をわずか数カ月で辞めてしまう。あてがわれたのは、紙をひたすら半分に折る「折り屋」のところに紙を運び、折られた紙を回収する仕事で、あまりに地味でつまらなく、「こんなことやってちゃ、いい飯は食えねえ」と思っていたそうだ。
それである時、なにかほかにいい仕事はないかと神楽坂の交差点にある電話ボックスの電話帳をめくっていたら、職業別のページに「芸能」があった。そこに、ラジオで耳にしたことがあった芸能人の名前を見つける。


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