ここで重要なのは、このサービス消費/コト消費/感性消費という三類型が、その後コト消費に期待された役割とほぼオーバーラップしており、かつ、いずれも「モノ消費ではない消費」という概念規定を共有している、ということです。
このことは、「○○消費」が「モノ消費ではない消費」を描くために作られ続けたことを示す、一つの証拠として見ることができます。
実際、その後のコト消費やその類似の言葉をめぐる語りにおいて共通しているのは、「モノ消費から○○消費へ」という移行図式が前提とされ、かつ、この「○○消費」が多くの場合において、互換可能なものとして扱われている、ということです。
そして、この「○○消費」の中で最終的に市民権を得たのは、最も曖昧なコト消費だったのでした。
「コト消費」という言葉が使われ続けている理由
ではなぜ、曖昧な「コト消費」が生き残ったのか。その理由は、以下のようなものと措定できるように思われます。
「コト消費」言説は、「かつてとは違う動機に即した消費行動が現れつつある」と語ることに主たる含意がある。しかし、それが具体的に何かについては曖昧にしておきたいのではないか。そのような曖昧さを残すことによって初めて、様々なヒット商品やブームを同一の枠組みの中で処理して、時代の変化を語ることが可能になるがゆえに。
新しい消費行動や動機を提起することが目的のとき、普通に考えればその具体的内容や新規性を概念化し、新たな言葉を作り出すのが、最も近道のように思えます。
しかし、そのような概念規定の道を辿るなら、その具体的内容の新規性が時代の変化とともに薄れるにつれて、その言葉はいずれ廃れてしまうでしょう。
しかし、もし具体的内容を取り決めることなく言葉を作り、その言葉が明らかに今廃れているように見える概念の対称概念と対応していることのみを強調するとしたらどうでしょうか。その場合、いかなる新たな現象が登場したとしても、その言葉の中に放り込むことが可能となるのです。
これが、なぜ類似の言葉が多数ある中でコト消費が最終的に生き残ったのか、そしてなぜコト消費が常に自明のものとして語られ続けるのかの理由です。


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