その最も極端な例として、ここでは博報堂生活総研の研究員が1985年に書いた、ある記事を見てみましょう。そこで彼は、戦後日本における消費のモードが「モノ消費の時代、サービス消費の時代、コト消費の時代、感性消費の時代へと流れてきました2」と主張します(図2)。
この彼の記述は、コト消費がマーケター言説内で用いられた、筆者の知る限り最も初期の事例なのですが、ここでコト消費は、最新の動向である「感性消費」の前触れとしての役割しか与えられず、あたかも過去の消費形態を示す言葉のように紹介されています。
これは、当時の博報堂や電通が「感性消費」を一種のバズワードとして売り出していたからですが――先の記事のタイトルは「大衆から分衆の時代へ」であり、同年の1985年に博報堂生活総合研究所より出版された『「分衆」の誕生――ニューピープルをつかむ市場戦略とは』をなぞり返しています――この事実はある示唆を私たちに与えます。
それは、コト消費はマーケター言説への本格的な登場期において、特定の主体によりプッシュされたとは見なし難い言葉である、ということです。
コト消費は1980年代中盤に一般に使われるようになって以降、誰ともなしに常識となった。他方、「感性消費」に代表される、当初からバズワードとなることを企図して作られた「○○消費」は、多くの場合すぐ廃れてしまった。それはなぜなのでしょうか。
「○○消費」という言葉には共通項がある
このことを考えるうえで重要なのは、こうした「○○消費」の類似点です。
そもそもこれらの言葉は、一見するとまったくまとまりがないように見えますが、ある一つの共通項を有しています。それは、これらがいずれも「モノ消費ではない消費」を指し示すために作られた言葉だ、ということです。
先程引用した記事には、以下のような記述があります。
この説明が、博報堂生活総合研究所の公式の見解と見なせるものかどうか。もっとも、それはここでは問題ではありません。先述した『「分衆」の誕生』において、類似の時代区分や説明は特に採用されていないことを示すだけで、とりあえずは十分でしょう。


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