マラソン企画誕生の裏にあった番組の方針転換
メイン会場の日本武道館や両国国技館を目指し、100km前後の距離を走破する『24時間テレビ』のチャリティーマラソン。夏場の厳しい暑さのなか走り続けるランナーを激励するため、出演者たちが「負けないで」を歌うシーンは番組のクライマックスにもなっている。
だが1978年の第1回の時点では、まだマラソンはなかった。初めて実施されたのは、1992年第15回のことである。
その背景には、視聴率の問題があった。
元々、『24時間テレビ』は1回限りで終わる予定だった。ところが、第1回が日本初の試みとして予想以上の反響を呼び、翌年以降も続くことが決まった。視聴率も15.6%(関東地区世帯視聴率。ビデオリサーチ調べ。以下同じ)と上々だった。
ただ、その後視聴率は徐々に下がり始める。そして1991年には6.6%にまで下がってしまった。
チャリティーが目的ならば本来視聴率を気にする必要はないが、多額の制作費は必要で企業からの協賛も得ている。番組存続のため、1992年に日本テレビは大きく方針を転換する。
チャリティーという基本は変えない。だが、よりエンタメ性の高い方向に舵を切った。たとえば、視聴者から寄せられたメッセージをもとに谷村新司と加山雄三が共作し、その後番組のテーマソングにもなった「サライ」はこの年に誕生している。
そして同時に新たな目玉企画になったのがチャリティーマラソンだった。
初代のランナーとして白羽の矢が立ったのが、お笑い芸人の間寛平である。日本テレビの人気番組『マジカル頭脳パワー!!』に出演していた縁もあったが、間はマラソンにも熱心に取り組んでいた。過酷なスパルタスロン(246kmを36時間以内に走破する)に挑戦するなど長距離にも走り慣れていた。
ただこのときは予想外の事態になった。事前にルートを公開していたため、沿道に観衆が殺到し、なかには車や自転車で追いかけてくる者も。その結果、マラソンは途中で中止になってしまった(それでも間は153km走った。ルートは翌年から非公開になる)。


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