明暗の区別くらいしかできなかった単細胞動物の「目」は、遺伝的な突然変異によってできた小さな偶然と環境的要因が合わさって、この文章を読んでいる人間の目にまで進化した。
想像力を必要とするが、こうした偶然と環境によって選択してきた過程をへると、いくら複雑な時計でも、壮大な計画や抱負を持たない目が見えない時計工によってつくられることは可能であるというのが、進化生物学者たちの説明である(チャン・デイク、2008; Dawkins, 1986)。
ダーウィンの進化論とアリストテレスの幸福論
「人間は宇宙の特別な存在だ」という傲慢な考え方に、地動説が一撃を食らわせたわけだが、ここにKOパンチをお見舞いしたのがダーウィンの進化論だ。
人間が宇宙のみならず、地球ですらそれほど特別な存在ではないということを気づかせてくれたのだ。
自然の法則にそって存在する1つの生命体。人間はそれ以上でも以下でもない。
でも、ダーウィンの進化論とアリストテレスの幸福論には質的な差がある。進化論は、ダーウィンという1人の天才の個人的な意見や見解ではない。事実なのだ。
地質学、動物学、考古学、化石学、生物学、遺伝学、人類学、心理学……学問を超越し、現在まで動員されたすべての科学的方法が検証し続けている事実だ。
人間は進化の産物であり、思考したり、なんらかの行為をする理由はどれも結局のところ生存するためだ。
進化の過程を疑うのは、まるで夜空に浮かぶ月がもしかしたら大きなお餅なんじゃないかと疑うのと同じなのである(餅のはずがない)。


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