ダーウィン対アリストテレス。重要な対立であり分かれ道だ。幸せをどこに代入して論じるかによってまるで異なる結論がでる。
進化論にもとづく「幸せ」の姿
幸せを探究する過程では、こうした決定的な分かれ道が出てくる。1つはアリストテレスで代弁される哲学にもとづく伝統的な観点、もう1つは新しく開通した進化論というコースだ。
今まで幸福学者の大部分は、アリストテレスの大通りを選択してきた。
この旅路でそれなりの形になった幸福論は多分に目的論的であり、価値志向的だ。
人生の究極の目的は幸せであり、これは意味のある人生を生きることで具現化できるという考え方だ。「道徳の教科書バージョン」の幸福論である。
代わりに「科学の教科書バージョン」の幸福論を見つけてみようと思う。
そのためには、幸せに新しい服を着せてみないといけない。
数千年間着続けてきた哲学の服を脱がせて、もう少し進化論的な視点を持って幸せについて考えてみるべきだろう。
進化論コースで見ることになる幸せは、これまで私たちが目にしてきた姿ではない。
七三にぴっちり分けた頭髪にスーツを着た、かしこまった幸せではないのだ。


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