そこでは当然のように異なった形の漢字が書かれ、そんな南北朝時代の異体字氾濫状況が、続く隋唐の時代にもそのまま引き継がれました。
ところが、隋の時代に高級官僚を採用するための試験「科挙(かきょ)」が始まりました。
受験者、採点側も判断に迷う
科挙の中心には小論文の試験があって、受験者は与えられた題目について儒学の経典を縦横無尽にふまえながら論説を書きますが、そのときに異体字を持つ漢字について、受験者はどちらの漢字を書けばいいのか大いに困りました。また答案を採点する側も、答案にある漢字が正しいのか、異体字について判断に困りました。
異体字が大量に存在しながら、どの字形が正しく、どれが俗字(学問的に正しくない字形)なのかを判断する基準がないのは混乱を招くので、多くの異体字の中から由緒正しい字形と、そうでない通俗的な字形を区別する必要が痛感されてきました。
こうして唐代の中期には、既存の異体字を整理して正俗を判定する「字体正俗判定書」のニーズが高まってきました。これを「正字の学」といい、何種類かの書物が作られましたが、それらのうち顔元孫(がんげんそん)という人が作った『干禄字書(かんろくじしょ)』がもっともよく使われました。


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