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ライフ #戦う哲学者の晩年の独白

戦う哲学者が脳出血を経て行き着いた「死んで、かつ死なない」境地…20歳から60年恐れた「死後の永遠の無」は錯覚だった?

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中島義道 哲学者
以前は部屋に油絵作品がたくさん置かれていたが、「もう描いていない」という(写真は2013年の取材時のもの。撮影:風間仁一郎)
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そんな身体の状態で過ごす中、若い頃から読んでいた道元や鈴木大拙の禅の本を読み返してみました。

そして、ごく最近、この数カ月のことですが、世界の基本構造がそんなに私が考えているような「統一的なもの」ではないなと思うようになったのです。

20歳の頃、私は「死ぬ」かぎり人生が虚しくて無意味で、なぜ生きているかがわかりませんでした。

それから60年哲学をやってみて、結局これがわからないということがよくわかりました。何をやっても、どんなに科学をやっても、どんな哲学書を読んでも、わからない。

道元や鈴木大拙と、カントとの共通点

私は世界のことが知りたくて、主にカントを研究してきました。それはそれでよかったと思っています。

あまり細かくは述べませんが、彼が何を言ったかというと、「世界は人間(この「私」)が意味を付与したもの」だということです――これを「超越論的観念論」というのですが――。

「私」は一人であって、何十年か前に来て、もうすぐ死ぬ。つまり世界それ自体としては何ものでもなく、人間の意識がなければ世界はない。

ただ「私」が「あれは太陽、これは空気、これは地球」というふうに名付けたというわけです。客観的世界は、物自体ではなく、ただの「現象」なのです。

その一方で、道元や鈴木大拙を読み返してみると、非常に示唆的なのは、道元が「この私の実在がすべてである。世界は私の心である」と言っていることです。これはカントと同じ「観念論」の考え方です。

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