「リゾート廃墟島」としての顔も
時計を見ると15時前。悪天候で1時間繰り上げられた最終便の時間が迫る。汗びっしょりの体とパンパンの脚を労わりながら余韻に浸り、フェリーを待つ。
“ラピュタの島”は、明治期に築かれた軍事施設の島だった。この場所が一度も実戦で使われなかったのは、兵器や戦術の進化によって要塞としての役割を終えただけにすぎない。国と国とが対立するのではなく、互いに手を携え合う世界であってほしいと、強く願わずにいられない。
130年の時を経て、自然が人間が築いたものを包み込んでいくように思えた。ここを訪れる人たちは、人間の業(ごう)さえも受け止めてしまう自然の力に、畏怖の念と、どこか救われるような安心感を覚えるのかもしれない。
友ヶ島の廃墟はこれだけではなかった。道中、昭和の面影を残す旅館や、かつてこの島をリゾート地にしようとした「南海電鉄」の文字が刻まれた案内板も目にした。
後編では、要塞としての役目を終えた友ヶ島のもうひとつの歴史を、探索写真とともに紐解いていく。(後編へ続く)
・『由良要塞Ⅰ〜大阪湾防禦の近代築城遺跡〜』 近代築城遺跡研究会発行 2009年6月

