ところが、武蔵での生活は順風満帆では終わらなかった。中学時代はバレーボール部に所属し、勉強もゲームも楽しむバランスの取れた生活を送っていた。しかし高校になると様子が違ってくる。自由な環境は、同時に「自分で選ぶ力」を試される環境でもあった。
阿部さんはこう振り返る。
「ちょうどオンラインゲームが普及し始めた時代でした。全国の仲間とつながり、夜遅くまで遊べる。その魅力に一気に引き込まれていきました。一方で、周囲は大学受験を意識し始め、予備校へ通い始める友人も増えていきました。しかしその流れに乗るモチベーションもなかったんです」
高校1年で部活動もフェードアウトしたこともあり、あっという間にゲーム中心の生活になっていった。
親との衝突、そして一人暮らしという決断
ゲームに費やす時間が増えるにつれ、親との衝突も激しくなっていった。ピークは高校2年生のころ。ちょうど遅れてきた反抗期とも重なっていた。
顔を合わせれば、父親から「なぜゲームばかりするんだ」「将来はどうするつもりだ」と叱られる。そのたびに「うるさい」と反発し、部屋に閉じこもってゲームに没頭する。そんな悪循環が続いた。
そんな状況を変えようと、阿部さんは親にある提案をする。
「一人暮らしをさせてほしい」
もちろん、本音は「自由にゲームがしたい」だったとは言えない。実家のある埼玉から学校までは片道約2時間。通学時間を勉強に充てたいこと、料理や洗濯も自分でできることを懸命に説明した。
父親の通勤途中に高校生でも入居できる学生寮が見つかったことも後押しとなり、高校2年の終わり、一人暮らしが始まった。
「今思えば、親もよく認めてくれたと思います」
しかし、その環境はゲームから離れるきっかけにはならなかった。誰にも邪魔されない“自由”を手に入れたことで、ゲームに費やす時間はさらに増える。部屋は友人たちのたまり場となり、学校以外の時間はほとんどゲームに明け暮れた。
当然、成績は下降。現役ではセンター試験を受けただけで早々に受験を終了し、そのまま浪人生活へ入る。その頃の生活について「浪人という仮面をかぶったフリーターでした」と阿部さんは振り返る。
春になっても予備校へは通わず、サイゼリヤでアルバイトを始めた。予備校へ通っていないことが親に知られると、仕送りは打ち切られた。親は実家へ戻ってくることを期待したのだろう。しかし阿部さんは帰らず、むしろ仕事にのめり込んでいく。週6日、深夜帯まで働いた。

