改装のたびに売り上げは回復した。しかし、そのたびに柏も投資を重ね、競争条件は再び厳しくなっていった。過酷な狂騒の歴史を見ていくと、撤退は無責任な決断だったわけではないことがわかる。ただし、もはや復活が難しいことは、火を見るより明らかだったのではないか。
⑥開店当時とは前提が変わっていた
伊勢丹松戸店が努力を重ねる一方で、建物を取り巻く環境も変化していた。
1974年の開店当時、このビルには三者が関わっていた。土地を提供した松戸市、建物を建設・所有した三菱地所、そして営業する伊勢丹である。三者には、「松戸駅前に百貨店をつくる」という共通の目的があった。
しかし、2005年以降、建物の持ち主は変わる。三菱地所はビルを売却し、その後は不動産投資会社が保有するようになった。投資会社にとって、松戸ビルは数ある保有物件の一つであり、百貨店を維持すること自体が目的ではない。
一方、伊勢丹側の方針も変わっていく。2016年、三越伊勢丹ホールディングスは、業績不振の地方店について、売り場縮小や業態転換を進める方針を打ち出した。
さらに2017年3月には、大西洋社長が突然退任する。市の総合政策部長は議会で、「2月くらいまでは伊勢丹松戸店長と中心にやっていたのですが、急に3月になって切れまして、社長の突然の交代がありまして、3、4月は全然」と、当時の状況を説明している。
交渉が再開したのは5月。相手は店長ではなく、新設された構造改革推進部である。そこで市に示されたのが、5階以上を返却し、市が4階を借りるという支援案だった。「この条件が整わなければ伊勢丹松戸店の営業の継続は難しい」とも伝えられていた。
伊勢丹松戸店の存続を難しくしたのは、市議会が支援案に反対したことだけではない。百貨店を誕生させた三者の利害関係が、44年の間に失われていたことも大きかった。

