⑦「消費センター」ではなく「住む街」になった松戸市
百貨店を中心とした商業都市という構想が思うように実現しない一方で、松戸市は別の方向へ発展していった。都心へ通勤する人が暮らす住宅都市である。
その条件を整えたのが、伊勢丹開店の3年前に始まった鉄道の直通運転だった。1971年、営団地下鉄千代田線と国鉄常磐線の相互直通運転が始まり、松戸から都心まで乗り換えなしで通えるようになった。1968年の報告書でも、この直通運転は人口増加を支える重要な要因として繰り返し挙げられている。
その後の歩みを見れば、松戸市がどんな街になったのかは明らかだ。松戸市の人口は増え続け、2025年の市民意識調査では、「住みやすい」と答えた市民は74.8%に達した。一方、「まちの賑わいや買い物の便」に満足していると答えた人は38.3%にとどまる。
この構図は、本連載の第1回で取り上げた千葉県市川市に似ている。市川にはかつて6店もの百貨店が存在したものの、現在はすべて消滅。「良いものは東京、日常の買い物は地元」という消費スタイルが早くから定着していた。
松戸も結果としては同じ方向へ進んだといえるが、市川と違うのは、市が「消費センターになる」という目標を掲げ、公費と土地を投じて百貨店を誘致したことである。その結果、街の実態と行政が描いた将来像とのずれは、より長く残ることになったのかもしれない。
伊勢丹松戸店が閉店したのは、松戸市が衰退したからではない。松戸市が「消費センター」ではなく、都心へ通勤する人々が暮らす街として発展するなかで、百貨店を支えていた前提が失われていったのである。

