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ライフ #百貨店消滅タウン

「船橋にはあるのにうちにはない」と百貨店を誘致、大松戸市を目指すも失敗…「千葉のベッドタウン」が迎えた"皮肉な結末"

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「プラーレ松戸」
松戸の「消費センター」化が失敗した理由とは?(写真:筆者撮影)
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1974年、東京以北で最大級として建てられた伊勢丹松戸店の跡地。現在は商業施設「キテミテマツド」として使われている(写真:筆者撮影)

④誰かが来れば、誰かが業態転換する街

松戸駅前が厳しかった理由は、百貨店同士の競争だけではない。大型店の出店ラッシュも、競争を激化させる大きな要因だった。

1969年に扇屋ジャスコ、1974年に伊勢丹、1977年にダイエー、1980年にはイトーヨーカドー松戸店が開店する。短期間で大型店が集中したことで、駅前の競争は一気に激しくなった。

その影響はすぐに現れる。イトーヨーカドー開店から2カ月後、扇屋ジャスコは家具中心の「インテリア館」へ業態転換。1983年にはダイエーもDS(ディスカウントストア)業態の「Dマート」へ転換した。

当時の業界誌『販売革新』(1983年7月)は、「松戸駅付近には大型小売店舗がしのぎを削り、ビッグストアだけでもイトーヨーカドー、ジャスコ、長崎屋などがある」「デパートからDSまで、日本で最も業態の種類の多い地区になった」と評している。

新しい店ができれば、既存店は売り場や業態を変えなければ生き残れない。松戸駅前は、そんな過密な競争環境になっていた。

伊勢丹も例外ではない。業界誌『販売革新』(1982年11月)によれば、開店当初72%あった第一次商圏での大型店シェアは、1981年には20%程度まで低下している。その間、新たに出店した大型店は16店に及んだ。

駅東口にある「プラーレ松戸」。ペデストリアンデッキでつながっており、人の流れも多くにぎわっていた(写真:筆者撮影)
かつて存在したダイエー跡地。今後の利用は未定(写真:筆者撮影)
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