「江戸時代はこんなんだったんです。当時の西洋人が見たら『こんなところにうちの国の人間は入れられない』と言うわけです。幕末には、関税や治外法権の面で日本にはかなり不利な、いわゆる『不平等条約』が結ばれました。日本政府は悔しかったのでしょう。近代的で法整備もできていると示すために、慌てて作ったのがこの監獄です」
なるほど。「受刑者の人権を守っている」と象徴するため、奈良監獄は作られたのだ。
少年たちの刑務所としての再出発
第2次世界大戦後の1946年、この施設は「奈良少年刑務所」と名を改めた。主に26歳未満の初犯者を収容し、更生教育に力を入れていたという。少年刑務所としての奈良監獄には、さまざまな更生プログラムがあった。「刑務官のことを『先生』と呼ばせ、学校のような場所として機能していたんです」と神さんが語る。
「この子たちを一人前にして社会で暮らせるようにするんだと、看守の人たちは一生懸命だったんです。出所後に食べていけるようにと、ここで職業的な資格を取らせていました」
その象徴が、受刑者が腕を磨くために施設内に建てられた「若草理容室」だ。
驚くのは、外からの利用客が多く来ていたこと。「どんな罪を犯したかもわからない人に、鋭利な刃物を持って近寄られるのは、生きた心地がしないのでは?」と心配になったが、意外にも地元の人は好意的に受け止めていたようだ。

