戦後の復興需要で収益は急拡大し、神戸電鉄は49年に再開された大阪証券取引所、同年新設された神戸証券取引所に株式の上場を果たした。戦後すぐは都心と疎開地の往来に加え、都市部から食料の生産地である農村・田園地帯に買い出しに向かう人らが高い頻度で鉄道を利用した。経営が本格的に軌道に乗ったように見えたが、復興需要が落ち着くと再び経営は悪化。人件費の急上昇が経営の重荷になったのだ。
53年には再び約680人いた従業員数の約1割の希望退職者を募集する大リストラに踏み切る。同時に役員数も2人削減、管理職の格下げを実施。このときは神戸電鉄全体を神戸市に売却してはどうか、レールのほか全設備を売却してバスに転換してはどうか、といった話題が出たほど経営は厳しかったという。
阪急阪神HDが筆頭株主
52年に三木以西の粟生線が全線開通。粟生駅で国鉄加古川線と接続。それでも経営は安定せず、61年に阪急電鉄と資本業務提携。現在も阪急阪神ホールディングスは神戸電鉄株の27%を保有する筆頭株主だ。


