もっとも開業当初から経営は順調とはいえなかった。年末年始など繁忙期を過ぎると乗客は1両に数人という状況も珍しくなかった。
膨らんだ建設費の負担も経営の重荷。開業3年目の30年には早くも人員整理に着手し、社員の1割近くをリストラしたことに苦境が読み取れる。
有馬線、三田線の開業から10年後の38年に小部(おぶ、現在の鈴蘭台)と、古くから金物を製造する産業集積地である三木を結ぶ子会社「三木電気鉄道」が全線開業。それでも経営は落ち着かなかった。
災害や事故の苦難も
さらに神戸電鉄を苦境に追い込んだのは38年の阪神大水害だ。トンネルの閉塞、線路や築堤の崩壊・流出、橋梁の破壊など64カ所に被害が出た。鈴蘭台の改札口では胸まで水に浸かった。鵯越―鈴蘭台間に停車していた客車1両は線路が流出して転覆。川中に滑り込んだ。
事故も多かった。戦中から終戦直後にかけて大小12件の事故が発生。終戦直後の45年11月に発生した列車転覆事故は死者48人という大事故になった。この直後には兵庫県警から訓戒を受け、清水時好社長が辞任する事態にもなった。

