これを象徴するような、分かりやすいエピソードがあります。東日本大震災の直後、電力が逼迫して計画停電が行われていた頃、東京電力が日々の電力状況を発表していました。当初、そのデータは記者クラブへ「紙」で配布されていたのです。
ウェブサイトに数値をリアルタイムで掲載したかったヤフーなどは、紙では困るので「データでほしい」と要望しました。すると、次に出てきたのはPDF(笑)。
「Excelにしてほしい」と重ねて頼んだところ、やっとExcelファイルが送られてきたのですが、なんと日によって数値が入っているセルの位置がバラバラに変わっていました。セルの位置が統一されていなければ、プログラムで自動処理をすることはできません。
これこそまさに、Excelを自動化やデータ連携のための土台(プラットフォーム)としてではなく、単なる「電子の原稿用紙」という文房具として使ってしまった、日本の縮図のような代表例だと言えます。
日本がプラットフォームを逃した理由
本書に、07年を境に日本はスマホとソーシャルとクラウドの波に乗り遅れたと書かれています。
当初、Amazonはオンライン書店、Googleは検索エンジンやメールサービスを提供してくれる会社でしかありませんでした。それが07年以降、クラウドという仕組みによって一気にプラットフォーム化していきます。
クラウドに基づいたプラットフォームや、人と人とが情報を大量に流し合うという発想が、アメリカのテック企業を巨大化させていったわけです。しかし、日本はそこが理解できませんでした。
日本人の考え方は、今もあまり変わっていません。そもそもプラットフォームそのものを既にアメリカが完全に取ってしまったので、今さら手を出してもうまくいかないでしょう。

