例えば本書でも触れられているとおり、日本の動画配信サービスGYAO!は、テレビと同じように秀逸なコンテンツを揃えて配信すればうまくいくと考えていました。しかし、その頃アメリカで誕生したYouTubeは、大量のコンテンツを消費者が生み出すモデルを作り出していた。そこに乗り切れなかったことが敗因だったわけです。
実はこれが、DXとIT化の違いに似ているのです。
80年代は「OA化(オフィス・オートメーション)」でしたが、2000年代に「IT化(インフォメーション・テクノロジー)」と言われるようになりました。コミュニケーションツールをデジタル化して、それまでの音声電話やFAXから、電子メールやメッセンジャーに変えようというものです。
しかし、2020年代には「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」と言われるようになります。
DXの本質は、コミュニケーションのやり方そのものを変えようというものです。1対1のコミュニケーションを、Slackのようにたくさんの人が同時に参加できる仕組みに変えていく。あるいは、会社の内部の人と外部の人が自由にやりとりできるようなものに変える。それによって仕事のプロセスそのものをすべて変えていこうというのがDXなのです。
GYAO!は、テレビのビジネスモデルのまま、電波をインターネットに変えただけだった。これは「IT化」です。ところがYouTubeは、まさに「DX」的な発想で、消費者そのものが大量のコンテンツを作り、消費者同士でやりとりするものに変えた。それが成功したのです。
日本人がDXを理解できない理由
日本の産業界が、DXの根幹を理解できなかった原因として、テクノロジーを文房具のような「手先の道具」と捉える点があると思います。
アメリカのテック企業は、自分の生活や仕事の土台となるものがテクノロジーであるという、プラットフォーム的な考え方をします。
一方、日本のテック界は職人的な発想で、テクノロジーは手先を器用にするものだという感覚が強いのです。
例えば、Excelは機械にデータを読み込ませるための土台となるツールですが、日本人にはそのような発想がないので、原稿用紙や絵を描く道具として使ったりします。しかし、それではあまり意味がないのです。

