休養日を削って練習したオリンピック1年前
世界一になり、自分が最強であると証明すること──。それが、21歳のスピードスケーターとしての私の人生のすべてだった。2001年、私は翌年に控えたオリンピックに向けたトレーニングに心血を注いでいた。オリンピックまでの1年間、出場する全レースで優勝するつもりだった。カレンダーのすべての試合日には、「優勝」という文字を書き込んでいた。失敗することなど微塵も考えていなかった。自分ほど、若くして将来を嘱望されているスピードスケーターはいない──そう信じて疑わなかった。
自らの輝かしいキャリア計画をお金に換えるために、スポンサー企業との契約を交わす際には、かなり強引に交渉した。彼らは私が抱く野心に感銘を受けてくれた。大きな契約を獲得できたが、一定の成果が求められるという条件付きだった。結果が重視される厳しいプロスポーツの世界では、当然のことだ。

