スポンサーとの約束を果たすため、私はトレーニングスケジュールから休養日をすべて削った。練習では、求められている以上のことをやった。他の選手がリンクを10周滑るのなら、自分は11周した。3週間のチーム合宿後も、自分だけ3日間居残りで練習した。固定式自転車を2時間漕げと言われたら、3時間漕いだ。ハードに練習すればするほど、もっと速くなれる。頭にあったのは、それだけだった。
頑張れば頑張っただけ報われるはずだと、自分に言い聞かせていた。だが結果を求めるあまり、無理をしすぎていた。はっきりと自覚していたわけではない。無茶をしていたと気づくのは、いつも身体が悲鳴を上げてからだった──思いがけないタイミングで体調を崩したり、極度の疲労を感じたり。回復するとすぐに、失われた時間を挽回しようと猛練習に励んだ。しかし結局、しばらくするとまた体調を崩してしまう。
オリンピック直前に陥った「燃え尽き症候群」
事態が急変したのは、ドイツのインツェルにあるトレーニングキャンプへ向かって歩いていたときのことだ。凍えるほど寒い日で、辺りは暗く、私は氷の上に足を踏み入れる前から疲れ果てていた。「こんなの無駄だ。引き返せばいいじゃないか? もう家に帰ろう」という心の声がした。なんとかその声を無視してスケート靴を履き、リンクを数周滑った。限界だった。疲労困憊だった。このままではいけないと強く思った。
ユタ州ソルトレークシティで冬季オリンピックが開幕するまで、あと3カ月しかなかった。けれども、私の体調は最悪だった。深刻なオーバートレーニング症候群だった。まるで、働きすぎた人が、燃え尽き症候群に陥ったような状態だ。
この2002年大会で、オランダは8個のメダルを獲得した。しかし、私がそのメダルを手にすることはなかった。自宅のソファで、勇気を振り絞ってテレビをつけ、心を痛めながらメダルの行方を見守るのが精一杯だった。
私は病人のようにベッドに横たわっていた。テレビの画面から、「タイテルトはもう終わりだ」という解説者の声が聞こえてくる。実際、その通りかもしれない。頭がおかしくなりそうだった。若さを活かして頭角を現すには、もう時間が限られている。20代前半までに実力を発揮できなければ、輝かしいキャリアは諦めなければならないだろう。

