これは、テック企業のヘルスケア開発として見ると、決して当たり前の光景ではない。多くのメーカーは、まずセンサーやアルゴリズムを作り、あとから医学的な妥当性を検証する順序をとりがちだ。一方アップルでは、臨床の現場を知る医師が開発の初期段階から関わり、「この機能は人の健康にとって意味があるのか」を問い続ける。
ビアンキ氏によれば、アップルのヘルスケア開発には3つの柱がある。伝える情報が有意義で行動につながること、健康の科学を真剣に扱うこと、そしてプライバシーを中核に置くことだ。医師がエンジニアの隣に座っているという事実は、この2番目の柱を絵に描いた餅で終わらせないための仕組みだといえる。
ビアンキ氏が取材のなかでとりわけ力を込めたのは、「自覚そのものが課題になる」という視点だった。本人が何も感じていなくても、デバイスなら感知できる健康の変化がある。医師として現場を知るからこそ、この「気づけない」という問題の重さを理解しているのだろう。
その代表例が、睡眠時無呼吸症候群だ。睡眠中に呼吸が繰り返し止まる慢性的な病気で、放置すると心臓や脳の健康にも影響する。ところがビアンキ氏は「驚くべきことに、この疾患を持つ人の80%は診断されていません」と語る。多くの人が、自分が患っていることにすら気づいていないというのだ。
だからアップルは、以前から取り組んできた不整脈の通知や高血圧の通知と同じく、「気づきを届ける」という発想で睡眠時無呼吸の通知を設計した。診断そのものを下すのではなく、「医師に相談したほうがいいかもしれない」という最初のきっかけを渡す。ここに、臨床医が開発に加わることの意味が凝縮されている。
手首の加速度センサーが、呼吸の乱れを捉える
その思想が形になったのが、Apple Watchの睡眠時無呼吸の通知機能だ。アメリカの食品医薬品局(FDA)は2024年9月、この機能を承認した。対象はApple Watch Series 9、Series 10、Ultra 2で、判定には30日のうち少なくとも10晩の着用が必要になる。
筆者が驚いたのは、その検出の仕組みだ。睡眠中の呼吸や無呼吸は、従来は病院の検査室で、胸に巻いたベルトや全身のセンサーを使って測るものだった。それをApple Watchは、手首に着けた加速度センサー(体の動きを測る部品)だけで捉えている。ビアンキ氏は、加速度センサーには呼吸に伴う手首の細かな動きが現れると説明し、病院で使う胸のベルトと同じような呼吸の波形が確認できると語った。

