Aくんとの出会いを通じて私が理解したのは、「読みやすい参考書は、読み手が頭を使う量が少ない」ということです。
例えば、昔の教科書や参考書を例に出しましょう。昔はまだ参考書の種類が今ほど充実しておらず、今見ると、令和の感覚からすると不親切なポイントがいくつか見られます。専門用語の解説はしばしば省かれ、行間は広く、章と章のつながりも自明ではありません。
だから読者は、読みながら常に自分で情報を補う必要がありました。
「これはどういう意味だろう?」
「さっき出てきたあの言葉と、どうつながるんだろう?」
「著者はなぜこの順番で説明したのだろう?」
こうした問いを読みながら自分の頭の中で立て、自分で答えを探すことになります。
コスパの悪い「わかりにくさ」に本質がある
一見するとコスパの悪い行為ですが、この地道な「補完作業」こそが、知識を自分のものにするための本質的な工程でした。
それに比べて、現代の参考書は恐ろしく親切です。
難しい概念には注釈がつき、カラー図解で視覚的に理解できるようになっています。章の冒頭には「この章で学ぶこと」が箇条書きで示され、重要ポイントは太字や赤字で強調される。さらに「つまり~」「なぜなら~」と論理関係まで丁寧に明示されています。
わかりにくいポイントは、そもそも編集段階で徹底的に排除されているのです。だから読者は迷いません。読めばわかる。わかってしまう。
そして、ここに大きな落とし穴があります。「わかってしまう」ということは、脳が「わかろうと働いていない」ということでもあるのです。

