もちろん、自転車という選択肢もあった。10年当時、すでに国が認めた「幼児2人同乗基準適合車(安全基準を満たした2輪自転車)」は市販されていた。ところがこうした自転車は「前は小さい子、後ろは大きい子」と、年齢の離れた兄弟・姉妹を想定して設計されているケースが多い。年齢が近く、体重が同じくらいの年子や双子を乗せると、安定して運転するのが難しかった。
「私にとって双子を2輪自転車で前後に子どもを乗せるのは、とてもバランスが取りづらかったです。私は小柄だったこともあり、ハンドルをとられて発車時やカーブでふらついてしまう。私の力では踏ん張りきれないことが多かったです。安全基準を満たした自転車であっても、双子を乗せて走るにはどうしても限界がありました」
引きこもりがちになり、子どもにストレスをぶつけてしまったことも
次第に外出がおっくうになり、家に引きこもりがちになっていく。ストレスも発散できず、ときには長男を怒鳴りつけてしまうこともあった。子どもにストレスをぶつける行為は、中原さん自身の心の傷をえぐることになった。
「私はいきすぎる『しつけ』という名の暴力の絶えない家庭で育ちました。家庭内DVというものですね。母も父から暴力を受けることもありましたし、母はその矛先を私たちに向けていたように思います。『あんたなんて産まなければよかった』と言われた記憶も……。だからこそ、私は『虐待は連鎖しない』を証明したい一心だったし、温かい家庭を築き、子どもに愛情を注ぎたかったんです。それなのに、双子育児の過酷さに、私は自分の親と同じように長男に怒鳴るようになっていきました。両親と自分が重なっていくようで、とても自分のことがとても怖くなりました」
周囲に、双子を連れて外出する困難さを理解してくれる人はいなかった。子どもたちの父親は、自転車を支えるだけの力があり、自転車送迎を苦にしていなかった。いくら訴えてもピンとこないようだった。孤独を深めるなか、11年、ある大きな出来事が起きた。

