その場に居た者でほかに「意見」する者はいませんでした。皆、魂を奪われたように呆然としていたのです。同書はその様子を「浅間敷く(あさましく)」と記述しています。
とはいえ、長康は当初のように茫然自失としているわけにはいきません。しかるべき判断を下す必要があります。
長康は藤孝からの注進に間違いはなかろうということで、急いで備中にいる秀吉に本能寺の変のことを伝達する決断を下したのでした。
『信長公記』との描き方の違い
『武功夜話』には『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が記した信長の一代記)のように、本能寺の変で信長が死にゆく様子が具体的に描かれている訳ではありません。前野家の家譜だけあって、前野長康の言動がピックアップされているのです。
ちなみに『武功夜話』においては、光秀が信長を討ち取った理由を「信長は己の武威を誇り、神社仏閣を毀損すること甚だしい。驕慢であり、都鄙(とひ:国中)の迷惑を省みず、みだりに諸国を奪い取り、神仏を畏れずの所為」と記されています。信長が諸国を侵略したこと、寺社を毀損したことを理由にしているのです。
『信長公記』は「信長を討果し、天下の主となるべき」ということを光秀の謀反理由としていますが、それとは異なると言えるでしょう。
(主要参考文献一覧)
・池上裕子『織田信長』(吉川弘文館、2012年)
・桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(新人物文庫、2014年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)
・「吉田蒼生雄訳注『武功夜話』第2巻(新人物往来社、1987年)」

