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「江戸時代は緑豊かな農村だった」「高級住宅地として分譲されかけた」…"つまらなくなった"街・渋谷の意外な変遷

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かつて渋谷城の敷地だった金王八幡宮(写真:筆者撮影)
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美しい石畳が敷かれ立派な劇場も建った。百軒店は商業と娯楽が一体となった「平面の百貨店」となる。その賑わいは浅草の仲見世をもしのいだともされる。

目白や大泉学園などの開発に向き合っていた西武グループ(箱根土地)が、突如渋谷の地に舞い降りた形だ。

沿線の住人にも持ち家を説いた東急とは対照的に、西武は渋谷では土地所有にこだわらず、人を引き寄せる「空気」そのものを生み出していった――さながら文化の魔術師というべき立ち居振る舞いである。

※細木数子を生んだ「百軒店」のいまの風景は、後編記事で改めて紹介したい。

渋谷駅前のスクランブル交差点(写真:筆者撮影)

「空中の橋」で狭小地に建てられた西武百貨店渋谷店

百軒店から44年経った1968年。西武は思いもかけぬ形で昭和の渋谷に舞い戻る。かつて川海老が獲れた宇田川は、オリンピックを期にすでに暗渠(あんきょ)となっていた―― 。

渋谷駅を背に北へ少し歩いた一帯は、地下を宇田川が流れ、井の頭通りにも分断され坂道が絡む狭小地。とても大箱を置く場所ではなかった。

しかし西武は一帯の土地を借り上げると、創意工夫を凝らし西武百貨店渋谷店のA館、B館をドーンと建ててしまったのだ。渋谷が文化の町として発展した重要な転機である。

デパートを建てるには狭すぎる狭小地を、西武はどう料理したのだろうか?

西武渋谷店A館とB館(写真:筆者撮影)

西武は狭小地を3階と5階の「空中の橋」でつなぎ見事に一体化。西武渋谷店を出現させたのだ。

井の頭通り(地下に宇田川)を挟み、写真左が西武渋谷店A館(営業面積1万6549平米)、右がB館(営業面積1万3749平米)である。いずれも百貨店を建てるには狭すぎる土地だ。

地下も繋げられれば好都合だったのだが、川の流れが阻み上手くいかなかったようである。ただ従業員は移動時に毎度3階へ登る訳にもいかず、地下2階に従業員用の隠し通路があるという。

残念ながら公式の写真撮影は断られてしまったが、食品売り場の店員に聞くと「私たちはバックヤードから地下2階を通りますよ!」とのことだった。隠し通路はたしかに実在するようだ。

この宇田川の地下を縫う通路こそ、西武が渋谷に一大文化圏を根づかせた刻印なのだと私は思う。この時期、西武は百貨店と鉄道系に分裂(1971年)する直前で、すでに並走を始めていた。

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