B館の地主は東急と関係が深い国際興業(路線バスの運営などで知られる)だ。高額な借地料をペイするには商いを大成させるしかなかったが、西武はいかなる手を打ったのだろうか――?
西武は公園通りの坂道を駆け上がり始めたのだった。
まず渋谷パルコが誕生(1973年)。次いで西武渋谷店 SEED館を新設(1986年。その後モヴィータ館を経て現在は無印良品が主体)。さらに渋谷ロフト(1987年)を展開。いずれも大々的に成功させた。
谷底の駅周辺を押さえていた東急を尻目に、周辺の急坂の地形を生かした美観を備えた「公園通り」を開発。文化の核を作ったのだ。筆者はここを歩くと、夏の軽井沢や長野市内を歩く爽快な気分になれる。
現在はパルコ、無印良品、ロフトとも旧・西武百貨店(現在のそごう・西武)の経営を離れ別会社となっているがそのDNAはいまだ健在である。
前編まとめ
大型インフラには不向きな、川筋と急坂が入り組む「谷底都市・渋谷」――。
西武はこの地に舞い降り「文化の種」を撒いていった。負けじと東急も東急百貨店 東横店や東急ハンズ、SHIBUYA109、Bunkamura(劇場、映画館、美術館など)で追撃する。この競争で渋谷は一大文化都市として花開いた。
西武百貨店の土地所有へのこだわりのなさがバブル崩壊後の逆風となっていったのは残念である。
後編では、無印良品の意外な開発秘話に触れ、「もはやCDを置かなくなった」と囁かれるタワーレコードにて若者の認識の変化を読み解いてゆく。
さらには令和の街に息づくリアルな屋台。そして細木数子が育ち、あのマドンナも降り立った「渋谷百軒店」へ向かう。変貌を遂げた街を歩きながら「渋谷は本当につまらなくなったのか」その核心に迫りたい。

