それを見下ろす場所で時を守るのが金王(こんのう)八幡宮だ。平安末期創建の神社だが、ここはかつては渋谷城の敷地だった。渋谷は人名であり、神奈川県の高座渋谷(相模国高座郡渋谷荘)を祖とした一族という説もある。
この頃から渋谷の町は始まっている。
今回は、渋谷の町の変遷を追いかけながら「渋谷は本当につまらない町になったのか」を探ってみたい。
東京の町づくりの中心は江戸城にある
宮益坂(みやますざか)は、109で知られる道玄坂とは正反対に位置し落ち着きがある場所だ。
この急坂の上には青山学院大学のキャンパスがある。江戸城の方角にもあたり、渋谷の正面玄関だった場所ということになる。
東京では町づくりの中心は江戸城にあるので、初期城下町の外縁だった「外堀」からの距離感がひとつの目安だ。例えば地下鉄銀座線なら虎ノ門駅が外堀にあたる。
虎ノ門から渋谷までの距離をGoogle Mapsで測ると約4.6kmある。徒歩なら1時間強。江戸期の渋谷は、まだまだ町はずれで緑豊かな農村だったのではないかと想像がつく。
渋谷駅の西側には、センター街などを擁する宇田川町(うだがわちょう)という地名がある。かつて地上を流れていた宇田川は水が豊かな小川だった。空の米俵に糠を入れて3時間も沈めておくと、たっぷりの川海老が獲れたという。
渋谷城(現在の金王八幡宮一帯)から見下ろす渋谷川、そしてセンター街あたりを流れる宇田川。
渋谷は台地を川がYの字に削った谷間にある「谷底都市」である。東方から地下を進んできた銀座線が、渋谷駅では地上に飛び出してしまうのはそのためだ。
「谷底都市」にはオフィスなどの大箱は建てにくい。人の移動も大変だ。はっきり言えばお金を生み出す都市構造としてはハズレに近い。
しかし、山手線内は官、新宿・池袋はほかの私鉄が押さえており、東急はこのハズレ駅を引き当てることとなった――。

