東工大の合格掲示板に自分の番号がなかった3月末、キャンパスには桜が咲き、家族連れがお花見を楽しんでいました。
「東大はダメだったから、東工大に自分の道があるかと思っていたのですが、番号がなくてものすごくショックでした。和気あいあいとする家族の声が聞こえてきくる中、僕は原っぱに仰向けに寝そべって、涙が見えないように泣きました。これ以上勉強を続ける気力は自分の中にないなと思って、どうしようかと思っていました」
東大不合格の息子に両親がかけた言葉
「2浪はニートと一緒、そうなれば自分に生きている価値なんかない」と思いながら1浪を過ごした宮下さん、勉強ができることや優秀な高校に通っていることが自分の価値を決めると信じていた宮下さんにとって、2浪という現実は自己否定そのものでした。
不合格直後は親にも見放されるんじゃないかと本気で思っていたそうですが、東工大の結果を見て帰宅すると、母親は「まだ若いからあと1年頑張ったらいいじゃない」、ビートルズが好きだった父親は日本で公演をやった武道館を持ち出して、「東大の入学式は武道館でしょ、一緒に武道館に行こう」とそれぞれ優しい言葉をかけてくれました。
「こんな自分でも応援してくれるんだというものすごい安心感がありました。教会で聴いてきた讃美歌に、『どんなに何もなくて罪を犯した存在でも、あなたを愛している存在がいる』という内容の歌があって。2浪中のあるとき、教会でそれを歌っていると、温かい気持ちになって涙が止まらないことがありました。
自分は何の価値もない、親のすねをかじっているだけの人間だと思っていたのに、こんな自分でも価値があるのかもしれないと改めて思い直させてもらえました」
彼の2浪の決意は、自己否定の底から、ようやく自分自身を素直に見られるようになった瞬間に生まれました。
成績を伸ばしてプライドを満たすためではなく、アメリカで感じた「誰もが平和な人生を送れる世の中を作りたい」という志が、勉強を続ける理由になった2浪目。
計画を立て直し、自分の実力を素直に見つめ直した結果、成績は急上昇。夏には最難関である理科3類でもA判定が出るようになり、模試では東大理系志望者8000人中100番以内にも入るほどになりました。
こうしてセンター試験は89%を獲得し、2次試験でも255点を取得。理科1類の合格最低点であった203点を50点以上上回り、無事彼は東大の理科1類への合格を手にしました。
「2浪目は受かったところに行くことも想定していたので、遠かった慶應は受けず、早稲田の先進理工学部も受けて合格しました。でも、最終的には東大に合格できて、入ることができて良かったなと思います。合格を知った時の感情は喜びというより静かな安堵でした」

