2人がズレや不完全さを面白がる会話のネタとして昇華している点は、『岸辺のアルバム』の田島夫婦がズレや不完全さが遠心力として作用していた点と正反対だ。
とはいえ、トキとヘブンに対立がなかったわけではない。人生の節目から日常の些細なことまで、意見がぶつかるシーンは多々あった。それでも、2人の間には会話が確かに存在していた。言語の壁がありつつも、お互いの気持ちを正面から伝えたり、英語堪能の親友・錦織友一(吉沢亮)に通訳として仲裁してもらったりして、危機をいつも乗り越えてきた。
『岸辺のアルバム』の田島夫婦は夫婦であるにもかかわらず共有する時間や趣味を持ち合わせていなかった。
一方、『ばけばけ』のトキとヘブンは散歩や怪談といった生産性のない時間も、日常生活で生じる対立も繰り返し共有する。2人をつないでいたのは特別な愛情表現ではなく「どれだけ一緒に歩き、話したか」の総量なのだ。
日常のズレをどれだけ楽しむか
前編で取り上げた『岸辺のアルバム』が問いかけたのは、「夫婦は何によってつながるのか」という問題だった。
それから約50年。『ばけばけ』が提示した答えは意外なほど地味である。
夫婦を支えるのは劇的な愛情表現ではない。
一緒に散歩すること。
小さな幸せだけでなく、ズレさえも面白がること。
そして、話し続けること。
『ばけばけ』は、そんな他愛のない日常こそが夫婦関係の土台なのだと教えてくれる。
……と、ここまで書いて筆者は思った。
このことを『岸辺のアルバム』の田島夫婦が聞いたらどう思うだろうか?
昭和時代を生きた人、とくに男性は気恥ずかしさもあったかもしれないが、一緒に日常を面白がることこそが、夫婦をつなぐ架け橋となるということを伝えたいと思った。
「向こう行けよ。うるさいんだよお前は」と振り払われてしまうかもしれない。しかしそれでも昭和も令和も、夫婦関係の土台になるのは、そういった意識的な努力なのだろう。

